失望することが多い人生である。

希望のような高揚感もたまにあるが、多くの場合は失望の延長上にある自然な状態だ。

性格は、小さなことに希望を見つける者と、小さなことに失望する者とに分かれるようだ。

ただどちらとも言えない者がほとんどであるが。

希望も失望もない者は、失望に慣れた者であろうか。

人には希望がなくてはならない。

考えてみれば、人生のうちでどれだけの希望を持てただろうか。

失望的に生きる生き方は今に始まったことではない。

希望的に生きていられたのは、小学生ぐらいまでしかないかもしれない。

もちろん、その後においても希望を持てた時期もあった。

しかし、希望を持てた時期は短く終わり、ほとんどは失望に耐えることが人生のようである。

希望を持てるようになるには、物質的な人工的な目に見えるものだけを信じるのではなく、心理的な自然的な目に見えないものを信じることが必要である。

消極性や利己性、無関心さや暗さに慣れた生き方をしているから、失望に追い込まれるのだろう。

失望の淵に立たされていることは誰しも自覚できることである。

それを誰かのせいにせず、自分のせいだと思うのであれば、目に見えない宗教的な力に気づくことになる。

失望的になるのは、希望的になるのと同様に生きていることの証明である。

忘れてはならない魂の根源に帰る時間を持とう。クローバークローバークローバークローバークローバー雨クローバークローバークローバークローバークローバー
所詮はそんなもんであると思う諦め。

諦めと妥協を旨として、黙々と職人を続ける。

同じ職人でも目標や志があれば生きる手助けとなろうが、これらのない職人はもはや職人と呼ぶのもおこがわしい。

夢や理想を捨て、ただひたすら黙々と打ち込む。

そこに少しでも明るい気持ちがあるならば、黙々と進めた仕事には嬉しさがあるかもしれない。

暗い気持ちのままで黙々と作業をすることは苦痛になってしまう。

せっかくの成果も嬉しさにはならず、当たり前のことに変わる。

夢や理想を捨てた先には、妥協や諦めしかなく、そのことが時折意識に登って私を苦しませる。

夢や理想を捨て切れないからだろう。

夢や理想は永久に持ち続けるものである。

たとえそれが適わないものであっても、捨てることはできない。

たとえ適わないものであっても、力を蓄えることもなければ、明るい気持ちは生まれない。

夢や理想を持ち続ける意思を持たなければ柔道DASH!霧
耳が閉ざされるような閉塞感に襲われた先週。

若干の改善はあるもののまだこの状態が続くか。

仕事量が減る事に対する危機感はほとんどなくなり、行く末をじっくり観察する気持ちだ。

お金を稼げることは大事だが、それ以上に大事にしているのが気持ちの持ち方ではないか。

経営者たちがお金のことだけに右往左往するようになると、会社の状態は一層悪くなっていくように思える。

お金のことを気にするのは結局は自分のことだけ気にして、周りのことを気にしなくなることを意味するようだからだ。

払えなくなることを心配する以上に貰えなくなることを心配する。

そのような考え方が当たり前になってきたのだろうか。

もちろん想像上のことであるが。

育つ人間は前も後ろも見ない。

今だけを見ているから自然といつかは前が見えてくる。

成長することもなくなってしまった中年は辛い。

ぼんやり漠然と毎日を過ごすことになりそうだから。ぶーぶー足あとDASH!
東海地方も梅雨入りか。

やってみて後悔するか、やらずして後悔するか。

後悔する気持ちになっているときは、どちらにしても同じように後悔する。

これとは逆に後悔する気持ちになっていないときは、失敗しても後悔することがない。

前向きな展望を持てているときは、後悔する気持ち自体がないから、後悔することがない。

気持ちの持ち方次第で、対象は変わって見える。

生きることに前向きであれば、どんな失敗も人生勉強であると思える。

生きることに後ろ向きであれば、失敗を恐れて踏み出す勇気が持てない。

しかし、問題なのは失敗した後のことだ。

誰しも同じ失敗を繰り返さないように、以前に比べて慎重になり、失敗を恐れる。

恐れから良い結果が生まれることはない。

失敗しても諦めないことの大切さは誰でも知っている。

失敗することと後悔することとは同じではない。

後悔しない気持ちを持てるようになれれば良いのだが。

雨雨雨あじさい雨雨雨

生きることがつまらなくなったり、辛くなったりするのは、次がどうなるかを計算しているからである。

計算通りに行くこともあるが、それとは全く反対に行くこともある。

先が分かることは少ない。

結果のみを求めようとすると辛さが増す。

先のことを計算せずに今ある機会を掴むことだけを考えていれば、結果がついてくることが多い。

計算ではなく、信念を持つことが大事だろう。

計算することは、損得に気持ちを持って行かれることであり、信念を持つことは、損得を超えた境地に気持ちを合わせることである。

どんなことでも信念がなければつまらないことになる。

信念を持てないところが私の辛さであり、愚かさである。

信念がなければ、ただ漠然と生きているだけのことになるから、つまらなく、あってもなくても同じ人生となろうか。

チューリップ黄チューリップ紫チューリップオレンジ雨あじさいくもりクローバーチューリップ赤チューリップピンクチューリップ黄
最近、ゲームに支配されて、生き方や感じ方にブレを生じさせていた。

どれだけゲームに集中しても、心にとって得られるものはない。

架空世界に呑み込まれていくと現実世界にリアリティを感じなくなる。

架空世界にいる方がリアリティを感じるような錯覚を起こす。

リアリティとは、生きている実感だ。

それだけ現実世界に飽きてしまっているのであり、現実世界を見下してしまっている。

平和であることが幸せを感じるための前提であると思われる一方で、平和であると、幸せを感じる機会を自ら放棄してしまうようだ。

矛盾している。そして愚かである。

人は矛盾と愚かな境地にいることを忘れている。

何か人のためにできることを考えるのが本来の人であり、そこから外れた生き方には魅力を感じない。

といったことを再認識した。三日月流れ星
最近、FXというゲームに取り憑かれ、一日一日が緊張の連続になってきた。

緊張感があることはいいことだが、どうやら人間は無機質になっていくようだ。

ゲームは感覚を麻痺させる。

かといって、それ以外に何ができるかを考えてみたところで、特に浮かんでこない。

仕事量が減っている時期だから、緊張感を保つための手段としていいとは思うが。

本当にやりたいと思う理想からはかけ離れていくだけだ。

そもそもお金儲けにそれほど興味がある訳ではなく、リタイヤ後の収入を得るための勉強を今から始めたつもりではあったが・・・。

始めると終わりがなくなってしまうようだ。

こうして、無機質であることにも慣れて、ただ漠然と過ごすことになる。

昔から、幕末の志士の活躍に感動を覚えたものだが、NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」を見ていて、それが再燃している。

あのように人生を懸命に生きた若者たちがいたということに感動せずにはいられない。

そこから考えると、まるで自分はゴミのようである。

男はいつまで経ってもロマンチストだ。

そうでなければ無機質な感じになってしまう。ブタあせる
今年は、昔に戻る、より戻しの年になろうか。

長く続いた歩合制が改められ、固定給制に近づくよう給料の支払いが改められた。

基本的に個々人の給料は、変わり目で大きく変動しないように調整されるようである。

まあ、給料の体系が変わったところで、多少の減額はあったとしても、本質的には何も変わらないと思うが。

問題なのはお金のことは気にせず、やるべきことをやるだけである。

仕事はそれだけのことなのか。

仕事以外に気持ちを向けられる何かが大事だ。

仕事は、頭で考えてしまうと馬鹿馬鹿しいことばかりである。

まともになってわざわざ馬鹿馬鹿しい中に沈没していくよりも、まともにならずに馬鹿馬鹿しさを味方に付ける方が得策である。

自分こそが、馬鹿馬鹿しい存在になってしまうことがまともにならない、ということだろうか。

そうすれば、馬鹿馬鹿しさに感謝できるようになり、マイナスにマイナスを合わせた原理でプラスにも変わりうると?

地震が来るのが一番恐いブタ汗
長いことブログを放置してしまった爆弾

新しいことがなくなったつまらない私に、一つのゲームへの挑戦が始まった。

FX(外国為替証拠金取引)お金メラメラ¥

初めてみるとなかなか面白い。

円安で外貨の定期がいい状態になったのがきっかけで、前からやろうとは思っていたが。

円安時代がこの先も続いてくれればいいのだが。

リタイヤ後に年金をもらうのが難しそうなために、今から不労所得を得るための実践勉強を開始本

小さな金額でやっていくつもりだが、この前、基本的なことを知らずに思わぬ含み損を抱えてしまった。

ローリスクローリターンで、毎日小銭をコツコツ積み上げることは可能なようだ。

レートが急降下するタイミングを意識していれば。

この前はこのことを理解していなかった。

暫くは慎重になって楽しんでいこうかな。

世の中の出来事から離れようとしていたが、これによって、世の中の出来事に関心を持つよう、より戻されている感じだ。
日曜日に吉野の桜を見に出かけたつもりが、吉野川を渡れずに撃沈爆弾

渡ろうと思った橋の4箇所ぐらいが一般車は通行禁止で、渡ることができる橋が極めて限られていた。

9時の時点で大渋滞車

予めホームページでチェックしていたのだが、まさか橋を渡れないとは・・・

桜の本場吉野を甘く見ていたかガーン

橋を渡るのは諦めて、急遽の予定変更だ。

行き先は公園と室生寺。

桜のピークは先週のようで、一部が残っている程度だったが桜

室生寺近くの公園から
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室生寺から
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