失望することが多い人生である。
希望のような高揚感もたまにあるが、多くの場合は失望の延長上にある自然な状態だ。
性格は、小さなことに希望を見つける者と、小さなことに失望する者とに分かれるようだ。
ただどちらとも言えない者がほとんどであるが。
希望も失望もない者は、失望に慣れた者であろうか。
人には希望がなくてはならない。
考えてみれば、人生のうちでどれだけの希望を持てただろうか。
失望的に生きる生き方は今に始まったことではない。
希望的に生きていられたのは、小学生ぐらいまでしかないかもしれない。
もちろん、その後においても希望を持てた時期もあった。
しかし、希望を持てた時期は短く終わり、ほとんどは失望に耐えることが人生のようである。
希望を持てるようになるには、物質的な人工的な目に見えるものだけを信じるのではなく、心理的な自然的な目に見えないものを信じることが必要である。
消極性や利己性、無関心さや暗さに慣れた生き方をしているから、失望に追い込まれるのだろう。
失望の淵に立たされていることは誰しも自覚できることである。
それを誰かのせいにせず、自分のせいだと思うのであれば、目に見えない宗教的な力に気づくことになる。
失望的になるのは、希望的になるのと同様に生きていることの証明である。
忘れてはならない魂の根源に帰る時間を持とう。

























































