3.11


我が家は停電が3日ほどで済みましたが


岩手、宮城、福島は大変でした

停電でテレビが見れなかったし携帯の充電も出来なかったので

情報が全くなくて

自家発電の温泉に行き(自宅のボイラーが電源入らなくてお風呂に入れなかったので)、そこで整理券をもらってロビーで待ちながら、沢山の人たちと見たテレビ


そこに写っていたのは、津波に飲みこまれ、流されていく家々、

高台で町が壊滅するのを、泣きながら見下ろしている人たち


何これ?映画?

何が起こったの?


と、みんなきっと思ってた


あんなに沢山の人たちがロビーにいたのに


誰1人、声を発してなかった

そして、お風呂場で髪の毛を洗いながら

そこでも、みんな余計な発言をしていなかった


さっきのテレビ、あれ何だったの?

ってみんな話すこともなく

ただただ、嫌な予感が本当になりそうな不安を抱えて、もしかしたら、今後普通の生活ができなくなるかもしれない

お風呂にいつ次入れるか分からない

そう思って、2回、丁寧に髪も体も洗って


無言で相方と帰宅した


その後、ガソリンが供給されなかったり

食料が2〜3ヶ月近く配送ができずにスーパーの棚がガラガラだったり

コロナタスさんが書いていたように

当初はホームセンターで猫のフードが買えなかったり

(電池やバッテリー、蝋燭は売るけど猫のフードは売れないと言われた)


あの時雑種組たちが7〜8匹いたので

フードはいくらあっても足りなかったのに

猫友や母親の猫から分けてもらったりした


あれから13年かあ


まだまだ、きっと

大変な思いを抱えて生きている人たちが沢山いるんだよな


ちなみにヒナコは

2011.1.14生まれ

震災時、生後2ヶ月の子猫

まだまだ私と出会ってはいませんでした



あの、これからどうなるかわからない不安

でも、みんな割とパニックにはなっていなくて

電気がなくてレジも手打ちだったのに

コンビニで高校生のバイトの女の子が

心配して迎えに来たお父さんに

「まだ帰れない!みんなものが買えなくて困ってしまうから!」と

仕事を続けていた姿が忘れられません


(おかげで水とインスタントラーメン、猫缶が買えました)


私が生きている今日は

あの日亡くなられた方々が生きたくても生きられなかった日なのだということを忘れずに


毎日、平穏に

家族や猫たちや友人が生きられますように

質素でも食べるものがありますように

寝る布団がありますように

雨風凌げる家がありますように


今朝の風景…↓












でも物価上がりすぎて老後が不安ですガーン



寝るよー



もう寝てる



平和が何より



だよね↓ニコニコ


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