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先日ある企画で、ゆーりんさんあてに画像を載せましたが…

色々考えて…沢山のヒナコの写真の中からやっと5枚を選びました






穏やかな日々

幸せって何だろう

ヒナコのおめめは、生まれながらに見えませんでした
低体重で生まれたヒナコの目は、先天性白内障という病気だったのです

左目は白内障レンズを入れる手術をしたけど、
その後上がった眼圧…怖くてとても右目も、とは出来ず、温存しました

(眼圧が上がると眼球が飛び出し、頭痛や吐き気が起き、摘出となる事があります)


右目の白内障は緑内障を併発し…

何とか点眼で眼圧を抑える日々
(ヒナコの緑内障は眼球が大きくならず、吐き気や頭痛を伴わない、開放型緑内障というタイプのものでした。
もしも苦痛を伴う緑内障なら、とっくに摘出していたと思います)

2018年春、ちび日菜が産まれる頃、ヒナコの眼圧が上がり出しました

原因はメラノーマでした
悪性のガンです


温存できるならしたかったけれど、
ガンが出来たのならもう迷うことはなかった
摘出を決めて向かった病院

目を無くすことよりも、命を失うことの方がもちろん辛いこと

それでも、可愛いヒナコの大切なおめめを失うのは、苦渋の決断だった

どちらかしか選べない選択で、どちらも究極の選択、に近いものがあった

正直、その頃に頂いたメッセージなどの言葉で一番辛かったのは、

「私なら目を取ります」
「命の方が大切ですから」

でした

そんなこと分かってました
百も承知です

だからこそ私も、メラノーマを見つけた時に、もう頭の中には摘出、の2文字が浮かんだし、すぐにそのつもりで受診したのです

でも、自分の仔が…
これまで8年間、次に何度も遠い大学病院に通い、迷ってきた目を取らなくてはならない

それが辛くないはずはない

結論は決まっていても、頭でなかなか納得できるものではなく…

言葉の一つ一つが過剰なほど鋭く、私の心に突き刺さりました

私なら、なんて言葉は不必要
その人は、私ではない
目を取るのは、その人の愛猫ではないのだから

例えは何の意味もなかったのです


手術日が決まった日の病院帰り、毎年一緒に桜を見に行った弘前公園に行きました

ヒナコのおめめは先に天国にやります
だから、命だけはお守り下さい
そうお願いしに神社へ向かったのです


ガンで愛猫を亡くしたことのある私は、2度とあんな想いをしたくなかった

目を無くしても可愛いヒナコ
何も変わらない


せめて、もう高齢の域に入ったヒナコの余生は、穏やかに過ごさせたかった
私の寿命をあげてもいい

少し前に天国に行ったヒナコの生みのお母さん
ヒナコと毎年行ったこの公園の桜の神様
沢山の我が家から天国へ行った猫たち
そしてそこにいるであろう亡父

今まで目の病気と頑張って闘って来たヒナコに、
生まれながらにクリアな世界を知らないヒナコに

せめて穏やかな日々を

そう願いました


私はヒナコの目を守りたかったんじゃなかった

ヒナコの命はもちろん、
ヒナコの穏やかで平穏な日々を、
幸せな余生を、

そしてなによりも共に過ごすかけがえのない時間を守りたかったんだ

でも、この心の痛みは執着なのか
これまでの闘いが終わりを迎える安堵なのか
勝てなかった悔しさなのか…

分からないものも確かにあった


疲れたなぁ

あぁ、でも終わるんだなぁ

どんな形で終わるのかなぁ

片目になって、それで穏やかな生活になるといいなぁ
それとも、また新たな闘いが始まるのかなぁ

転移してないといいなぁ…

そんな事ばかり思ってた


穏やかな日々は、きっと当たり前のようで当たり前でない
いくつもの幸運の末にあるもので、
ともすれば忘れがちではあるけれど

この小さな背中を見て

私は春、またきっとここにヒナコと戻ってくる、ってそう思った


手術の日の朝、最後の両目のあるヒナコさん


幸いにも転移性は低いとの診断で…

一度出血したけど、その後は穏やかに暮らしているヒナコ

本当に本当に頑張ったね


穏やかな日々って何だろう
守りたかったものって何だろう
一番大切なものって何だろう

考える機会を与えてくれたゆーりんさん、ありがとうございます


楽しみにしています!









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