連日アメブロをアップするなんて、あり得ない。


昨日アップした内容はこちらから。
ここに昨日の、開口一番の息子のセリフが書いてある。
その息子がアルバイトを終えて帰って来た。

いつも滝のように汗をかいて仕事をしているのを知っているからか、なんて見事なチョイス
。
そして、手紙を読んで思わず泣けた。
正直この手紙は、私が死んだら一緒にお棺にいれてくれ、と、遺言しておこうと思った。
軍隊にいた時(韓国の男性は義務)も肉筆の手紙を確かにもらった。
それもきちんと保管してある。
でもその手紙は、どんなに取り繕っても、上官に命令され、強制で書いてあることがありありとわかってしまう文章だった。
それにひきかえ今回の手紙は、自主的に心を込めて書いてあることが、ハングル文字の丁寧さや語彙の選択から見て一目瞭然だった。
その中に、
"オンマ(お母さん)が生活を全面的に支える為だけに
生きていて、オンマらしい時間を放棄しているように見えてとても苦しかった。"
と、あった。
この内容は実は2週間ぐらい前に、膝を突き合わせて言われていた内容だった。
暑さと仕事の忙しさで、とにかく体を壊さないことを最優先にしていた時期だったので、必要最小限の外出しかしなかった。
それが息子の目にはいたたまれなかったようだ。
ある日偶然、知人と夢中になって楽しそうに話している私達の姿を、これまた偶然そのカフェに入って来た息子が目撃して、すごく安堵しているのが伝わってきたことがあった。
23年も韓国で生活していると、度を超えた理不尽な思いを噛み殺し、忘却の閾値に追いやらなければ生きてこれなかったことが、あまりにも多かった。
日本に帰るなら早い方がいい、何度もそう思った。
でもここ(韓国)に残ることを選択した。
自らの血肉を分けた息子たちが、人間としての在り方を考えられないような人間になってしまったら……、と考えると、どうしても帰れなかった。
苦渋の決断を下し、その後も理不尽なことの連続だったが、息子の手紙はそんな苦労のすべてを労ってあまりある内容だった。
子どもは親の言う通りには成長しない。
親の後ろ姿を見て、それをどう解釈して何をどう選択すべきなのかを、無意識のうちに判断しながら成長しているのだろう。
23年と言う歳月は、人の人生において決して短い時間ではない。
しかし、それほどの歳月をかけなければ見えてこないものもある。
あの時、涙ながらに韓国に残る決断をした自分自身の勇気と、どこからともなく走馬灯のように蘇ってくる過去の記憶を、心静かに見つめて直していた。
そして、忘却の彼方に追いやった苦々しい記憶の中から咲いた一輪の蓮の花を、見出した自身を発見していた。

