種智院大学は、高野山大学と並ぶ真言宗系列の大学である。

空海が活躍した当時、教育機関としては、都に大学が一校あり 、諸国に国学があったが、これらは、身分の高い子弟にしか開かれていなかった。

そこで、空海は、貧富や身分にかかわらず教育を受けることができる「綜芸種智院」という学校を作ったのだ。

その綜芸種智院の名を受け継いだのが、京都の伏見区向島にある種智院大学である。


こちらで、2回にわたり、福田亮成先生の「空海学」という講座があった。

第1回は10月27日に「三教指帰」、第2回は2月9日に「御遺告(ごゆいごう)」に関して話された。
第1回は、父の入院の関係で聴講できなかったが、第2回は幸いにも聴講することができた。

「御遺告」は、字面から分かるように空海の弟子達に向けた遺言である。

入定6日前に与えられたとされており、二十五箇条よりなる。


写真は奈良国立博物館のウェブサイトより。
こちらは、暦応2年(1339)4月21日に、醍醐寺座主の賢俊(1299~1357)が書写した古写本であり、重要文化財。

「御遺告」の冒頭に、空海が自身の生涯を振り返り、語っている部分がある。

今回の講座では、その自伝的部分について、福田先生が解説をされた。

「御遺告」全体としてみると、私がみても空海が本当にそんなこと言ったのか?という部分が結構ある。

福田先生は、この世を去りつつある空海の想いだけでなく、後を託される弟子たちの想いが多く込められているとおっしゃった。

「御遺告」の中身はさておき今回のお話で一番面白かったのは、真言宗でも宗派によって弘法大師空海に対するおもいに温度差があるようだ、ということ。

福田先生は智山派の僧侶でいらっしゃって、高野山派に比べればそれほど…ということのようだ。

「空海」と呼び捨てにしたら、高野山派の僧侶から「弘法大師空海」と言え、と文句を言われたそうだ。

空海を何と呼ぼうが、福田先生の空海に対する敬愛の念が非常に強くていらっしゃっるのは、もちろんである。

学者先生はやはり「空海」と呼び慣れているだろうし、それが自然な気がする。
  
ちなみに同じ智山派の川崎大師平間寺の藤田貫首は、「お大師さん」が呼び慣れているので、とおっしゃっていた。

私は、高野山東京別院にて結縁灌頂を受け、高野山真言宗の参与会(通称「お大師さまファンクラブ」)にも入会したので、高野山派、ということになるか。

「空海」と呼び捨てにしているが、おもいは。

ああ、熱いなぁ。