2023/09/18(のたうち回る悲しみ 7.・エゴの死 28.) | ブログ.

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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.





































夕方

買い物に行こうと

外に出たら











6日ぶりに

野良猫タヌちゃん

玄関にいて














もう

会えないかもしれない… 

と思っていたので

号泣した
































そして 

2022年3月に

我が家にやってくるようになった

タヌちゃんは











その後

ほぼ毎日

一日に2回も3回も

ご飯を食べに来ていたのが














最近

2、3日来ない事が

何度もあり


それなら獲物を獲ったのかな…

とも思うが












1週間近く来ないことも

2、3回あり












でも

全く痩せてもいないので













だんだんと

ご飯をくれるひとが

他にもできたのかもしれない

と思うようになった


この子はとってもとっても不思議で

いつも「何者なんだろう…」と思う

猫とは思えない子なので

食べる必要が無くなってきたのかもしれないが 笑
























そして

昔はそうではなかったし

いつもではないけれど












わたしはいつからか

子どもと離れることに

物凄く悲しさを

感じることがあり












夢でも何度か

子どもたちとの死別や

子どもが行方不明になった夢を見て

泣きながら

目が覚めたこともあり












だからか

突然今

息子もいなくなり













それはわたしには

身が引き裂かれるような

体験で













だからそれは 

わたしの人生の

大きな課題でもあるようだった



























だから

子どものようなタヌちゃんが

来なくなるのも

いつも気が狂いそうで












でもそれは

わたしが

わたしの中の












ありのままの自分

神、神性、純粋さ、地上天国

分離した悲しみを

投影したものだと 

思っていた




























でも、だからこそ

「ああ、これを

味わい切る必要があるんだ…」

と思った












だから昨日

のたうち回りながら

それを味わい続けていたら













ふと

その、悲しみが

突き抜けていくような

味わい尽くしてきたような

感覚があった














そして今日ふと

「ああ、

会えることが奇跡なんだ…」

と思った












だからそれは

娘たちも息子も

家猫たちも野良猫たちも

ありのままの自分も、神も、地上天国もで











ずっとそばにいたら

それが当たり前で

いないことが寂しい

と思うようになったが












「本当は逆で

会えることが、統合は、奇跡なんだ…

と思い











そうしたら

悲しみが無くなり













そうしたら

何事も無かったように

タヌちゃんがやってきた

























そして

「ああ、全てを手放してきて良かった…」

と思った










それは

2歳の時に脳障害を負い

一時期視力も言語も何もかもを失った

現在24歳の息子が












言葉を話せるようになったら

誰も何も教えないのに

「ありがとう」「ありがとう」

と言い続けていることと

同じだからで













何もないからこそ

全てが

喜びと感謝しかないからで











だから今

軽やかだけど

胸が苦しくてしかたがなくて











ああ、

これは死だ…

エゴの死だ…

と思った



























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