〝わたしは、こんなに泣くほどの喜びで生まれてきたんだ…〟 | ブログ.

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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.



































子どもたちが
小さい頃














ママ友の
目が
ひどく
腫れていて











聞くと












一緒に
オモチャの
バットとボールで
遊んでいた











子どもの振った
バットが
目に当たった
と言った














そして
彼女はいつも
子どもに
















感情的になる
ことはなく
冷静で











もちろん
その時も












子どもが
わざとした
訳ではないので
何も言わなかった
と言い










わたしは
当時











「子どもが悪くないのはわかるけど

わたしならその時の
怒りや悲しみや傷みや痛みで

子どもに当たったり叱ったり
してしまうかもしれない」
と言い












「なぜ、それをせずにいられるの?」
と聞いた












すると












「わたしは、そんな時
〝終わった〟と思うの」
と彼女は言った











「だから、痛みはあるから
『痛かった』『痛い』とは言い

その時子どもが
『ごめんね』と言うことはあるけど

悲しいとか、腹が立つとかはなく

ただ痛みを味わい
それが過ぎるのを待つだけかな…』
と言い













わたしは
初めて知った
その視点に
びっくりした













そして













「なぜ〝終わった〟と思うの?」
と聞くと















「わからない

子どもの頃から
何となくそうだったから」
と言い










わたしは
その後











人生の
ふとしたときに









いつも
それを
思いだす


























今日ふと
わたしが母のお腹に入った瞬間や
生まれる瞬間の記憶が
思い出された











それは
胎内記憶なのか
両親から聞いた話なのか
思い込みなのか
集団意識なのか
それが混ざっているのかは
わからないが











お腹に入った瞬間も
女として生まれたことも
喜ばれなかった
というもので










それは
わたしの原点で
今まで何度も
出てくるものだった

子どもは二人欲しかったようだし
(わたしは二人姉妹の二番目)
洋裁が好きな母は
女の子二人ならお揃いの作った洋服を着せたい
と思っていた、と聞いたことがあるので
全否定されたわけではないが








そして
それが
わたしの記憶なのか
誰かのものなのか
思い込みなのかは
何でもよく










それは
目の前にゴミが落ちていたら
気がついた人が捨てたらいい
ただそれだけ、だからで












ふと
「ああ、
その瞬間に終わったんだ…」
と思ったら

 







一瞬でその出来事は
浄化され
感謝に変わり
涙が溢れた









そして、今
生まれ変わり始めた
わたしは









このタイミングで
生まれてきたことも
女として生まれてきたことも










もう完璧で
感謝しかなく











ああ、52年前も
こんなに、こんなに
泣くほどの喜びで生まれてきたんだ…
と思ったら











もう
愛おしくて
嬉しくて
今まで
気づかなかったことが
申し訳なくて



 





でも
今だったんだ…
気づけて本当に良かった…








苦しいくらいに
泣いた













だから改めて
タイミングも性別も
完璧でない存在は
一人もいないんだ…
と思い











これからは
もう、その
泣くほどの喜びが
二度と曇らぬよう









もう
魂が本質が
二度と
傷つくことはないよう









無限の幸せを
〝安心して〟
生きていくんだ…
と思い











ふと
わたしは今度は
わたしから生まれてきたような
不思議な感覚になった