尿 ⒋ | ブログ.

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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.















だから
尿は
わたしにとって













瞑想や
芸術や
セックス、目合ひ(まぐわい)
などのように













精神と肉体の
間にある壁を
打破するもの
だった













それは
無限を完全に
生きるために必要な











自我(エゴ)の崩壊を
現し










尿は
精神的にも
肉体的にも












わたしがより











純粋に
ありのままに










リラックスして
解放的に
生きるよう












助けてくれた














そしてそれには
宇宙の流れや
運命と共に













尿との調和や
歩み寄りが
大切で












それは
一般的には











臭く汚く
肉体にとって
不要な物という
イメージがある
尿と












フラットな
関係になる
ということだ
と思った












だから
それは














エゴを手放し
プライドを手放し
善悪を手放し
他人の目を手放し












汚く臭く
役に立たず
嫌悪感を感じる
自分など










どんな自分も肯定し
どんな自分も
無条件に愛する











ということでも
あると思った

























また
尿は
一方では











わたしが初めて
尿に触れたとき
感じたように












それは
無限で
宇宙で











計り知れない
能力を
秘めているもので











だから
尿と調和する
ということは











無限の可能性を持つ
自分と調和する
ということだと
思った













だから
それは










左脳の
善悪や思考を
手放し










どこまでも
直感的に
感覚的に
爆発的に
右脳で生き










それを
左脳で
表現する
ということで











それは
男性性と女性性の











その
自我(エゴ)の崩壊の
先に











皆が幸せな
地上天国が
在り












それが
ずっと
わたしが











狂おしいほど
求めていた
世界だった


























だから
そうして











さらに
尿や自分を
受け入れ










他人や常識を
大切にしながらも
それらに
囚われることなく











自分を
喜ばせることを
選んだ結果












ある日
わたしは










また
有り得ない物を
友人から受け取り























また
その享受に
泣き崩れた














そして
それは










わたしの選択を
祝福されたようで











やっぱり
わたしは
これから









発狂しながら
ありのままに
純粋に生き










発狂するような
喜びを










無限に
受け取っていくのだと
思った
























そして
今はこの












純粋な欲求と
流れに
身を任せて









尿と共に
生きているが










でも
瞑想も









いつかは
瞑想という行為を
卒業し











瞑想という状態で
生きることが










人間にとっての
ゴールで
原点であるように











尿も
いつかは
必要無くなるのが











人間としての
ゴールで
原点で











その
健康な状態が
わたしたちの
ありのままの状態で











だから
いつか
そうなることも
楽しみにしながら











今を
楽しんでいる











追記
2021年になってから、お湯洗腸は続けていたが、尿を取り入れたいという欲求が薄れて、今は取り入れていない(2021.2.14)