このように
息子の絵は
当時
母校に
寄贈
させて頂いた
わたしは
ある時から
ふと
息子には
何か
世界に通用する
能力が
あるのかもしれない
と思うようになり
そして
息子が
絵に出会い
その能力は
普通に
世界一だと
思っているし
これは
彼そのものだから
100万円でも
1000万円でも
お母さんの感覚に従い
無限に進めばいい
そう言われ
涙が
止まらなくなった
こともあるが
でも今
わたしは
ノーマネーの
生活になっていて
だから
ふと
何も
循環とは
お金のやり取りだけに
限らない
と思ったとき
この
母校に
寄贈させて頂いた
ときの
大循環を
思いだした
そして
この時
わたしや息子は
描いた絵を
母校の廊下の
生徒や先生や
保護者など
誰もが
いつでも
観られる場所に
飾って頂いたり
学校通信に
載せて
頂いたり
それを
700名ほどの
生徒や先生に
配って頂いたり
それを
地域の
何千という世帯が
見る
回覧板に
配布して
頂いたりなど
お金では
買えない豊さを
受け取っていたことを
改めて思い
ああ
わたしたちが
受けとる
無限の豊さの中には
お金を受けとる
可能性も
あるかもしれないが
こういう
豊かさでもある
とハッとした
アーティストは
作品をどう
提供するかも
個性だと
思っていたが
このように
皆が幸せになる
無限の豊かさ
という
提供の仕方は
わたしたちらしい
のかもしれない
とハッとした