わたしは
写真を撮ることに
特別興味が
あったわけでは
なかったが
ブログを
書くようになり
息子が
絵を
描くようになり
猫たちが
わが家に
やってきてから
気が付けば
携帯で
写真や動画を
撮るのが
日常になっていた
しかも
息子はいつ
絵を描くのか
わからなかったし
猫たちにもいつ
シャッターチャンスが
訪れるのか
わからず
そして
わたしは
ありのままに
自然に生きる
彼らの
日常のなかの
作為の
一切ない
美しい瞬間を
撮るのが
好きだったので
その奇跡の一瞬に
出会える自分で
いるために
24時間
昼も夜も関係なく
瞑想的に
過ごしていた
また
友だちは
いつも
死が身近にある
看護師で
わたしたちは
いつも
生も死も
同じ喜びだと
話しているので
彼女にとっても
この
剥き出しの現場は
日常だった
また
彼女は
助産師では
なかったが
娘さんを
20年以上前
計画的に
家族だけで
自宅出産をする
という
純粋で
狂気的な
経験をしていたため
出産には
人より
特別な思いが
あり
だからか
そんなことも
知らない
助産師さんが
一番
陣痛が
苦しかったときの
娘さんに
はい!
お母さんの
言う通りにして!
というほど
彼女が
娘さんに
寄り添う姿は
母であり
看護師であり
助産師で
プロで
わたしは
改めて
彼女の能力に
唸り
わたしは
夢と現実の
壁が
一瞬で
破壊されたような
この場所で
あ、これは
ただの出産と
その付き添いではなく
わたしたち
三人は
無限の能力を
発揮しているのだと
ハッとした
わたしたちは
出産の準備は
一切しなかったが
この日のために
何年も前から
誰よりも
準備をして
生きてきたのだと
ハッとした