そして
その後も
基本
わがままな
わたしだったが
まだまだ
わがままと
他人を気にする
人生を
行ったり来たり
していた
だから
わたしは
わがままに
突き進み
診察のため
渡米することに
なったときも
当たり前のように
二人の娘たちを
連れて行くつもりだった
でも
同時多発テロ直後で
SARSが流行り
50年に一度の
寒波で
車の屋根が埋まるほどの
大雪で
英語が話せず
多動で重度知的障害の
息子を連れた
わたしたち夫婦が
さらに
二人の娘を
連れていくことは
心配症の
母と夫に
反対され
その後
何年も
それを後悔した
また
その数年後の
3人の子どもが
小学生のとき
わたしには
4人目の子どもが
できた
それは
泣き崩れるほどの
喜びだったが
わたしは
つわりがひどく長く
切迫早産の傾向があり
さらに
今度は
障害児を抱え
高齢出産となり
障害児が生まれる
確率も高くなり
このときは
初めて
切迫流産も
経験したため
家族は
喜ぶ人もいたが
物凄く心配と
反対をする人もいて
わたしは
気が狂いそうなくらい
悩んだあげく
わがままを諦め
そして
そのときの
心とからだの傷は
その後
何年も何年も
残り
地獄のような
日々を
過ごした
そして
それさえわたしには
と気づいたとき
やっと
その出来事から
心もからだも
解放されたが
そんな
後悔や
命懸けの日々を
過ごしたことで
わたしは
改めて
わがままは
し続けなければならない
と思った
その気持ちが
自分にとって
確かなもので
宇宙や
自然の流れに
のっているのなら
わたしたちは
何度でも
無限に
わがままに
突き進まなければ
いけないのだと
わかり