そして
その日息子は
現地の日本人ボランティアさんや
現地のスタッフに
HAPPY BIRTHDAYの歌を
歌ってもらい
ケーキで
お祝いをしてもらうという
温かい時間を過ごし
あらゆることで
母親としての
自信を失っていた
わたしにとっても
それは
忘れられない
誕生日となった
そして
診察は
日本から
持って行った
MRIなどの資料や
妊娠前からの
記録を記した
厚さ1センチ近くにもなる
報告書を元に
世界各国から
集まっている
スタッフにより
様々な検査と
診察と観察が
何日にもわたり
行われ
息子の状態が
どんどん明らかに
なっていった
更に
日本では
理解力がなく
指示に一切従えない
重度の知的障害児と
診断されていた息子
だったが
「理解力のない子ども
天才ではない子どもには
一度も会ったことがない」
という
研究所スタッフの
元では
まるで
魔法がかかったように
指示に従い
わたしは目を疑った
そしてそれが
子どもへの信頼、尊重が
根底にあるからこその
現象で
それは
不動の岩をも
動かすことを知り
ここでは
奇跡が当たり前なのだと
思った