わたしは
たくさんのボランティアさんに
本当に本当にお世話になった
遠方の方には
直接お手伝いには行けないけど
応援していますと
本当に本当にたくさんの方に
言って頂いていた
わたしはそれは
決して当たり前ではないと
思った
わたしがやりたいことを
応援してくれて
それも無償で手伝ってくれることは
奇跡だと思った
だからいつか
絶対恩返ししようと
決めた
皆さんどなたも
見返りを求めていないのは
わかっていた
でも
わたしは
したかった
恩返しができる
わたしたちになりたかった
そして
何を恩返しできるかと
考えたとき
一番だと思った
それも
学校に入学しました
幾つになりました
というような
それも
もちろん奇跡でしかないが
わたしはもっと
皆さんに安心してもらえるような
奇跡のような
想像以上の
自立した息子を届けたい
そう思った
そしていつか
昔ボランティアさんに
お届けしていた
お便り
風便りに
息子の成長をのせて
お届けすると
10年くらい前に
決めた
それから
毎年毎年
毎日毎日
毎瞬毎瞬
その日を待ちわびた
期待と
落胆を
繰り返しながら
鬱やパニック障害になり
これでもかという
どん底を見ても
その夢は
決して諦めなかった
だから
息子の絵を
出展することになったとき
お便りが出せる喜びに
泣いた
お一人お一人の顔を浮かべながら
メッセージを書き
父に宛名を書いて貰い
願ってはいたけれど
本当にこんな日が来るなんて
と泣いた
そして実際に
絵画展で
たくさんの方と
手を取り合って泣き
「わたしは
リハビリはやめても決して諦めず
あの戦いを一人で続けていて
皆さんへお便りを書くことが
わたしの原動力でした」
そう話した