幼い頃、例えば、休日や夏休みに遊園地へ行く予定を父親が立てると、その瞬間から気持ちは既に遊園地へ行っていて、観覧車はぐるぐると回り、目の前をジェットコースターが勢いよく走り抜け、見とれているうちにソフトクリームが手元からおっこちそうになる。ジェットコースターは恐いけれど乗ってみたい。乗ってみると、高いところに上っていくカン、カン、カン、カンという滑車の音で、もう恐くて降りたくなる。隣にいる父親に降ろしてくれとせがむ。目をつぶる。
友達に遊園地に行くんだと自慢気に言いたいし、羨ましがられたい。その日が早く来て欲しいから、いつもは夜遅くまで起きていたいのに早く寝る。お母さんは宿題をきちんとやっておきなさいよと、良い口実が出来たとばかりに言う。健気に宿題をやる。遊園地に向かう日には、化粧を長めにしているお母さんがいて、父親はまだかという。遊園地が終わっちゃうと一緒になって急かす。
こどもの目ってすごいなと思う。見たいところへ意識と体がストレートに向かっている。想像するときもやっぱり、そう。表現力には欠けているかもしれないが、その想像の様が端から見ていて、まるわかりなくらいにはっきりしていて、雲を掴む話が現実味を帯びる。
ものごとをわかったと思う瞬間があって、その時は本当にわかっている。それを形にする過程でわからなくなっていく。大事にすべきはどれか。
海津はしばし、あちこちへ出かける。美術館だとか、動物園だとか服を見に行ったりする。その時、多くは電車なのだけれど、読みかけの本と別に数札の本を積ん読棚から選ぶ。お出掛け前の化粧みたいに念入りに、ちょっとウキウキしながら。電車に乗っている時間は長くたって片道2時間程度だから、何冊も必要はないし、結局読めない。
けれども、そうするのは電車に乗っているときの読書は驚くほどに捗るから。車中の読書は何をしにいくかを忘れてしまってどっぷりと入り込み、降りるべき駅を乗り過ごす。そんなとき、車を運転している時間は本当に勿体無いなと思ったりするのだ。
漫画のNARUTOで、こんなことが書かれてあった。ナルトの師匠の自雷也の言葉だが、真っ白い紙をただ見ると、視線は泳ぐ。だが、そこに点を打つと視線はそこに向かう。それが集中ということだ。という話。
なるほどな、と思った。これってたぶん当たり前のようですごいことだ。そうそう出来るものでもない。よくスポーツ選手はイメージトレーニングをする。頭の中で自分の像をつくり、思い思いに動かす。
たぶん、イメージすることにも集中力は必要で、それを固定するのにも集中力は必要。
例えば、抽象画を描く場合、何を見て描くか、となるとそれはイメージ以外の何物でもないように思うのだ。わたしならそうする。
海津はルーティンワークが苦手だ。長いことやっていると無意識に体が動いて記憶が飛ぶ。或いは寝る。だから、今年の一月に工場の仕事に就くことにした。
もし、仕事をきちんとこなせれば、驚くほどの集中力と持久力が身に付くに違いないと思って。
その工場は車のシートを作る工場なのだけれど、自分の作業を可能な限り注意して見てみれば、人間というのはすごいなと感心してしまう。慣れるまではやっぱり大変だが、習熟するに従って5ミリと違(たが)わない動きを何百とすることが出来るんだもの。
部品を所定の場所にセットして、スイッチで固定して、またセットして、固定して起動スイッチを押すと、作業ロボットが所定の箇所を溶接する。作業ロボットの動きはコンピューター制御でプログラミングされた通りに動く。このプログラミングのことをティーチングと言うのだ。
「人間は機械じゃない!」
なんて話を聞くけれど、いいんです。海津は機械になりたいんです、とこの時は思うのだ。自分をきちんとティーチングして無駄がなく動くようにする。
この仕事に就いて気づいたのだけれど、作業というのは、急ぐよりゆっくりでも無駄がなく、間違えずに動くほうが速いということだ。
無駄を減らすべく注意して自分の動きを見ると、力が入ってぶれたり、所定の位置からずれたりする。一度ずれると、それだけで数秒は損をしてしまう。
例えば、1時間に60個つくれるとすると、1個あたり1分、つまり60秒かかるわけだけれど、1個あたり1秒削れると、1時間あたり生産量が1増えるのだ。
機械自体の速度は容易にいじると故障の原因となるからいじれなくて、実質の作業時間というのは場所によるけれど、30秒ぐらいだったりするわけ。その中の1秒は削るごとに重みを増していき、こういところで働くのが好きなひとの職人魂に火をつけるらしい。
テーブルの上に皿を2枚離しておいて、片方に豆を山盛りに盛る。テーブルから1メートル離れたところ立ち、そこから近づいて箸で豆を掴んで、空いた皿に移す。移したら所定の立ち位置に戻る。その繰返し 。海津のやっていることはそんな仕事だ。
急げば、箸で豆の山を崩したり、掴んだ豆を落っことしたりする。拾いなおす手間を考えれば、ゆっくりでも正確にしたほうが速いでしょう?
で、豆を掴むことになれると、豆の個性が見えるようになってくる。豆がどんな形をしているかだとか、大きさの違いだとか気づけるようになって、箸で掴みやすい位置を瞬時に判断したり、それを座りがよく置けるようになる。
高度な工業製品も一緒でして、やっぱり個性があるんです。一定の動きに今度は一個ごとに微調整をかけていく。そういうのって人間しか出来ない。無駄を省いた人間の動きは結構見ものです。その動きを機械から外して見てみると、まるで舞いのようなんですね。
元々、ルーティンワークと思っていたんですけれど、とんでもな話で、工場の仕事は舞いだったんですね。勉強になりました。
という話。