久しぶりに、読まれることを意識してのブログ。
もしかしたら、誰かの励ましになればなあ、と思います。
現在、高校2年生の三男。
彼は、もともと愛されている自信がありすぎて困るぐらい自己肯定感の強い子でした。
小さくて、女の子みたいに可愛い容姿と声をからかわれたり、溝に突き落とされたり
。と周囲から「大丈夫?いじめられてる?」と心配されてましたが、本人は全く悩んでいる様子もなく「この子が悩むことってあるのかなあ?」ってぐらい、明るい子でした。
中学生になり、5月の連休明けから、休みがちになり、夏休みが明けてからは、完全に全く学校に行かなくなりました。
キッカケは、大して交流もない(塾は同じだけど、学校のクラスは違う。相手の子の顔もはっきり覚えてない)お友達の言葉でした。
随分後になって教えてくれましたが、「学校に行くのが面倒くさいなあ。って思っていたところに、追い打ちをかけて嫌なことを言われたから、行きたくなくなった。」そう。
当時は、表情がなくなってしまって、何を聞いても答えず、最後は泣く。の繰り返しで、何が原因なのか、こちらもわからずへとへとになっていましたが。。。。
小学6年で、コロナ渦になり、学校に行けない(行かなくても良い)体験をしてしまったから、単に楽を覚えただけなのかもしれないなあ。と今は思います。
先生は、今まで可愛がられて周囲がしてくれてたことを自分でしなくてはいけなくなって、気持ちが追い付いていないのでは?担任も教科ごとになって、面倒をみてくれるわけではない。小学7年生があれば、うまく行っていたでしょうね。と言われました。
ぽつり、ぽつりと断面的に、当時の話をしてくれるようになりましたが、「自分の考えが他の子と違うのではないか?と気になるようになった。」と言っています。
その後、年明けぐらいから、教会の学校(インターナショナルスクール)に出逢い、ハーフの子が多くて、1~2学年下に編入させてもらい、個別の成長に合わせたプログラムで通わせていただけるようになり、ほぼ毎日通えるようになりました。
と、言っても、親が車で送迎していました。
宿題はなし、テストもなし、体育もなし。給食も嫌いなものは食べなくてよい。
遅刻しても良いから、とにかく学校に来ることを目標にする。
これを、「学校に行けている」として良いのか?と問われそうですが。。。。
初めて、この教会に行ったとき(不登校半年ぐらい)、牧師先生に「今が一番楽な時ですね。学校に行かなくても良くなって、ほっとしている。もう少ししたら、これで良いのか?と焦る時期がくると思うので、その時に背中を押してあげましょう。」と言われ、「本人は、楽なのか!」と目からうろこで、私も楽になりました。
学校から脱走しようとして、引きこもり期間が長くて走れないところを、お友達が追いかけて捕まえてくれたり。
兄の協力を得て、何とか車に押し込んだものの、降りずに職場の駐車場で数時間過ごしたり。
家の前で、車に乗ることを拒否して、パンツ一丁で道路に転がったまま、数時間過ごしたり←今思えば、幼児みたいですね!
さらっと書いてますが、インターナショナルスクールに出逢ってからも、最初はとにかく大変で、「一日でも外に出れた!!」という感動や感謝はどこへやら。。。
「どうして、これだけ恵まれた環境なのに、行けないのか?」と親子ともに、追い詰められていた気がします。
それでも、公立の中学校と違い、「人それぞれ」な文化に触れたことが、良かったです。
教会付属の学校なので、ある意味モラル面では公立よりも厳しい面もありました。
「神様に与えられた能力があるのに、どうして努力しないのか?」
「心から喜んで奉仕し、友達とも本音で喧嘩して、赦しあう。」
などなど。
平日は学校。日曜日は教会の礼拝+奉仕活動。
今までひきこもりだった3男には、体力的にも精神的にもしんどかったと思います。
2年間、チャーチスクールに通い、公立では中3(チャーチスクールでは中1.2学年)の時に、公立の学校の先生から、外部受験をすすめられました。
通信+通学の学校で、電車で15分ぐらいの距離の学校。
家から駅まで10分、駅から学校まで徒歩5分ぐらいなので、30分ぐらいかな?
私としては、そのままインターナショナルスクールで2学年遅れで高校まで通えば良いと思ってたのですが、ちょうど旦那が仕事がしんどい時期で、今のままでは2学年余計に通うことになるから、しんどい。早く退職したい。ってことで、見学に行くことにしました。本人が「ここなら、頑張れそう!遅れてる勉強もできそう!」と、すごく気に入って、入学を決めました。
週5日コースにしましたが、結局一年生は週に1~2回通えれば良いほう。
スクーリング期間に通えなくても、長期休みに補講をして、進級はさせてくださいました。それを覚えたからか、更にスクーリングさえも行かないように。。。。
ちょっとした体調不良を、自分で調べて「これかもしれない!」と重症にしてしまうのは、長男の白血病を経験してしまったからかもしれません。
不登校の学びをする中で、
親と子を切り離して考える。
子どもは、別の人生なんだから、不登校も子どもの問題としてとらえる。
「親が自分のせいだと責めると、学校に行けなくて親を悲しませている駄目な自分。」と自己否定感が増す。
理解はしていましたが、感情として実行するのは難しく。。。
仕事も、子どものフォロー第一に考え、送迎ができる教会の中の訪問看護ステーションに転職しました。
外部高校に通いだしたから、もう大丈夫かな?と転職したら、行かなくなって、やっぱり私が家にいて、学校に行くまで見届けなくては!と思って、仕事をやめようとしたり。
全く、自分と子どもを切り離せませんでしたWW
はっきり、切り離せたなあ、と思うのは、自分が教会を変わってから。
元々、私は大阪の教会に所属していましたが、不登校をきっかけにチャーチスクールのある地元の教会に通うようになりました。
日曜日の教会も送迎していて、私が送迎しなかったら行かなくなるのでは?と心配して、戻ることができずにいました。
ある日、三男に「大阪に戻ろうと思うんだけど?」と相談すると
「個人の自由やし、ええんとちゃう?これから、どうやって通えばええか、だけの問題やな。」と、返事がありました。
今まで、学校の日だろうが、教会の日だろうが、午前中に起きることがなかったので。
あっと言う間に行かなくなるだろうな。。。と思ってしましたが、電車とバスを乗り継いで、一人で通っています。しかも、高校の友人を誘って、夏休みのプログラムにも参加するそうです。
学校は、相変わらず昼から行けたらいいかなあ?ってペースですが、週に3日ぐらいは通えるようになってきました。
もちろん、今でも世間から見れば、「不登校」の部類に入るのかもしれません。
それでも、ぽつりぽつりと引きこもり生活だった時の話をしてくれるようになり。
学校に行っているかどうか。に私がこだわらなくなったら、自然と自分のペースで行くようになり。
私が教会から離れたら、誰かを誘う。というアクションまで起こせるようになりました。初めて来た子のフォローも任されているそう。
コミュニケーションでつまずいて、不登校だった子が!!
「不登校」は、誰でも経験することではない。
「なじめない」と悩む気持ちがわかるのは、強みになるよ。
たくさん、愛情をかけてもらって、引きこもりから学校に行けるようになった。
だから、立ちなおったら、今度は励ます番だよ。
そう、話していたことが、少しづつ実現しているな、と感じます。
コロナ渦になったこと。
長男が白血病になり、次男が受験になり、3男のことまで構う余裕がなかったこと。
訪問看護の仕事に転職し、忙しすぎて、楽しすぎて、溺愛していた3男との距離がますます開いたこと。
私なりに、これが原因では?と考えて、色々やってみましたが、、、
結局、自分の人生。自分のペースで立ち直るしかない。(良い意味で、諦める)
子どもの不登校に、親は振り回されてはいけない。
親は、親の人生を考えて、生きていく。
こう思えたときに、やっと自立に向かうのだなあ、と思いました。
愛して、信じて、見守る。
ことと、
心配して、フォローする。
ことは、似ていて、全然違うことなのですが。。。
これを、しっかり感情ごと実行するのは、本当に困難です。
不登校は愛情不足で、居場所がないからだとか言われることもありますが。
私は、溺愛しすぎたかなあ?と反省するぐらいでしたし。
いじめ?と言われるぐらいの子もいましたが、基本的にはお友達にも可愛がられすぎ、構われすぎ、で自立できてませんでした。
3男の場合は、「教会」という居場所ができたことで、パワーチャージできたのかもしれません。
だから、愛情不足では、ない。
これだけは、確か。
悩まないで。とは言えません。
そんなこと言われても、絶対に思い悩みます。
それでも、自分の育て方、接し方のせいではない。
原因だって、はっきりわかるものでもない。
解決法だって、こうしたら上手くいく。ものはない。
それでも、人生に意味がないことはない。
どんな経験も、必ず益となる日がくる。
親子の関係に縛られすぎず、いっそのこと、子どもを置いて旦那と遊びに行く。
自分から、関心が逸れたと思うことで、子供もやっと自由に呼吸ができ、自立への道を歩めるようになる。
3人息子の子育てをして。。。
それぞれに違う問題があり。。。
やっと、私も楽に呼吸ができるようになった感覚です。
現実に、何かがクリアに変化したわけではありませんが、考え方が変わると良き方向に向かっている実感があります。
さて。
私も、私の人生を生きよう!