なのではないか。と人生において多々思うことがある。
と、急に随筆のような書き初めになってしまいましたが、私の人生って本当に出会いに恵まれ、無駄なものってひとつもない。と思えるような人生に周囲の方々の力でなっているな、と思うのです。
今日は前の職場の友人が一年ぶり?ぐらいに、ふと電話をしてきて
「仕事終わった?今、子供の塾を送りに来たんやけど。」と誘ってくれたので、仕事から直行して一時間ぐらいお茶をしました^-^
彼女の長女は今年受験生。
中学からオール5で地元で一番の高校に入学し、偏差値も70で医者を目指していた子だったのですが、
「どうして大学に行かないといけないのかわかんなくなってきた。何のために勉強してるの?」と急に立ち止まってしまい、不登校な時期があったとか。今は元気になって通学してるみたいだけどね^-^
自分の目指すものがはっきしている子でも、この時期って「生きるって何?」と、急に深く考えだして止まらなくなる時期でもあるんですよね。私も目指しているものもなかったけど、「自分が存在することの意味」みたいなものは考えて、わかんなくて、自殺願望があったWWW
別に人生において、なーんにも辛いことなんてなかったのに、平和すぎて死にたかったんでしょうねW
話が脱線しましたが。
その友人が息子が行きたいと言ったら全力で応援してあげたい。と言っていた大学が、
我が長男が資料を取り寄せていた芸術大学だったんですね。
それと、ゲームのプログラミングの仕事をしている人が不眠不休で働いて病院によく搬送されるよね。って話をしていて、彼女は「息子もゲームが好きでそっちの道に行きたいって言っているわ。夢を壊すから現実は言われへんけどなー。」って言っていてWW
母としてなんと素晴らしいのかと感動しました!
私、まず「~~の仕事はな。給料安いし、クレーム多いし、世の中そんなに甘くないで?」って否定から入ってしまうWW
ほわあっと就職してしまって、「こんなはずじゃなかった!」と挫折してほしくないから。
デメリットも知ったうえで、それでもやりたい。と思えるだけの情熱があるか?とまず問いかけてしまう。
だから、楽譜さえも高校に入るまで読めなかった長男が音楽の道に進むなんて、仕事にできるわけないやん!そんな才能ナイナイ。趣味としては最高だけどねーっ。というスタンツを取ってきた。
自分自身が絵を描いたり、物語を作ったりすることが好きだったけど、仕事にするほどの才能はなく、「看護師」という安定した職業を持ち、趣味で活動している人生に満足しているから。
演奏家としては、確かに難しいと思うのね。
音楽が好きだから、耳コピで今まで楽器はこなしてきていた子だから、才能ももしかしたらあるのかもしれない。でも、自分も音楽に関しては幼少から習い事としてやらされてきたから、長男のレベルは誰にでもできる当たり前のものとも思える。自分も音楽に関しても仕事にできるほどの才能はなかったと思うから。
結局、自分の基準で全て考えてしまってるんですよね。
自分が器用貧乏でなんでもそれなりにこなせるけど、突出した才能は何もないから。
それがコンプレックスだったくせに、結局その物差しで物事を図ってる。
そのことにはっと気がつかされました。
こんなにも「舞台」という世界が大好きで、才能あふれる人たちにときめいを頂いているのに、才能があろうがなかろうが、「関わっていたい。」と思う気持ちをどうして応援できないのか。
なーんとなく、無難に、よく聞いたことのある大学に行って、潰しの効くような学科で・・・って思ってしまっていたけれど、もしかしたら、私がこんなにも宝塚が好きになったのも、彼女が芸術大学応援したげたい、っていう気持ちを教えてくれたのも、導きなんじゃないかなーって思うのです。
今まで・・・特にお仕事において、自分の望む道じゃないっ!!って号泣して嫌々移動した部署に限って、ものすごく学ぶべきことが多くて、自分の糧となり、次の職場で役に立つことが多いんですね。
すっごく嫌いだった看護の仕事が好きになったきっかけの訪問看護のお仕事も、近所の人に拝み倒されて、嫌々入った世界だった(笑)
ストーカー彼女で辞めることになってしまった職場も、元々は旦那様が「今は働きやすくなってるで?」と、気が進まない私に復帰をすすめてくれた職場だった。
嫌々入ったところこそ、結果的にはすごくやりがいが見つけられる職場になっているんだよねー。
子供もそうかも。
予定外妊娠の三男が女子みたいで、宝塚に一緒にハマってくれたり(笑)
これからの世の中ってどうなってゆくんだろう?
どんどんAIが進出して、きっと事務は必要なくなる。
言語もAIが翻訳してくれるから、グローバルな世の中になる割に外国語を学ぶ必要もなくなるかも。
AIを開発する一握りの人間と。
医学、介護、サービス業と言われる職種は必要そう。
・・・どんな世界になったとしても、芸術という分野はなくならない。
AIには作り出せない唯一のもの。
才能がなければ?と、怖くて、私は逃げてしまったけれど、人間として存在する意義ってここにあるような気がする。
小説にしろ、絵画にしろ、音楽にしろ、お芝居にしろ。
人間として生きている世界を表現したものに、人間として心震わせる。
そして、この感性ってサービス業全てに通じるものがある。
人間が好き。生きてるって面白い。
この世に存在するから、怒り、泣き、笑い、心を震わせる。
そんなことを感じることができるのが、今の「看護師」としての仕事もそう。
今、私は「生きたい」と思う。「生きているって楽しい」と思う。
毎日がハッピーで平和かと言うと、全然そうじゃない(笑)
でも、少なくとも平和ボケしてしまって「何のために生きてるのかな~?」とは思わない。
そう思えるようにしてくれたのは、やっぱり自分の意志でない「導き」だったと思うの。
子供にもそういう「導き」が必要だと思っていたけど、私の意志ではない「導き」を与えてくださってるのかもしれないなー。と、突然の彼女のお誘いでそう思ったのでした^-^
たった一時間ばかりの間だったけど、楽しかった!