カタン。
静寂を破って、僕以外が物音を立てる。
「・・・何?」
秘密、という保護に包まれたこの空間から動くのが億劫で、物音のしたほうに首だけを動かす。
「・・・っ大・・ちゃん・・・・?」
一筋の月明かりが道を作っている先に立っていたのは、今まで僕の身体を翻弄していた本人だった。
秘密が一気に引きはがされた衝動に目が醒め、もつれる足で逃げ出す。
「痛っ!」
身体を激しくぶつけ、机や椅子が派手な音を立てる。
もがくように手足をばたつかせるけれど、思うように前に進めない。
はだけたシャツは腰にまとわりつき、膝までずり落ちたボトムが足の自由を奪う。
「・・・っ!」
動けない理由に自分の恰好を思い出し、かあっと頬が熱くなる。
「なんで逃げるんだよっ。」
「だってっ。だって・・・。」
つかまれた手首の熱さと力強さに、確かに生身の大ちゃんだと実感する。
僕をまっすぐに見据える視線に縫い止められて動けない。
怒り?軽蔑?憐み??
冷たく静かな月明かりを燃やし尽くしてしまいそうな熱い色をたたえた瞳が、有無を言わさぬ力で僕を捉える。
「ごめっ・・・。ごめんなさいっ。」
「だから、なんで謝る?」
ぐいっと引き寄せられると、願望の中では決して感じることのできなかった質感を伴って、大ちゃんの胸に抱きしめられた。
後ろめたさとおどろきからくる涙が、ぽろりとこぼれる。
「だって、気持ち悪い思いさせたし。」
「・・・何が?」
いつもは僕の言葉足らずな部分を理解してくれるのに、してくれないのは、やっぱり怒っているのだ。
撮影の進行を止めないなめにフォローしてくれなに過ぎないのに、勝手に勘違いして守ってくれたなどと思いあがってしまった。
「・・・ごめんなさい。ちゃんと、なかったことにするから。」
「そうやって、勝手に怯えて、自己完結して、逃げて、謝って。
俺のために、とかって言ったら本気で許さないからな。」
大ちゃんの瞳が先ほどよりも純度の高い熱に燃えている。
怖い。逃げてしまえら、どんなに楽だろう。
「あの。ああいうこと初めてだったから、勝手に反応しちゃっただけで。
大ちゃんに特別な気持ちがあるとか、そーいうんじゃないから・・・。
安心して?・・・ね?」
「俺が喜ぶ模範的回答か?」
ギリギリと締められる手首が痛い。
壁に押し付けられた背中が逃げ場を奪う。
いつも優しくてあったかい陽だまりのような存在だった大ちゃんの影の部分。獰猛で、情熱的で、妥協を許してくれない厳しさ。
噛みつかれる。と、身をすくめた瞬間に、歯列がぶつかり合うほどのキスをされた。
「んっ。んっ。んんっ・・・。」
真意を計りかねて逃げ惑う舌先を捕らえ、吸い上げられる。
背徳と甘美が表裏一体となって、まじりあい、溶け合う。
頭の芯がぼーっと掠れ、願望なのか現実なのかが曖昧になる。
ちゅ。くちゅっ。
はっ。はあっ。
教室に響く音も、上がる息も、蠢く影も。
二つになり、折り重なる。
「あっ。んっ。ああっ・・・。」
固まるだけだった腕が、大ちゃんの背中を掻き抱く。
戸惑うばかりだった舌先が、求められるままに絡まり合う。
僕の影が大ちゃんの影に吞み込まれてゆく。
「変わんねーな。お前は。勝手に勘違いして暴走するところ。」
やっと離れた大ちゃんの瞳は、熱っぽさはそのままに、怒りは消えていた。
「自己評価、低すぎなんだよ。嫌われる心配よりも、身の危険を心配したほうがいいぞ?」
「・・・え?」
展開が早すぎて、キスに翻弄されてぼーっとした頭には大ちゃんの言葉が理解できない。
「罪悪感なんて感じなくても、お前と一緒ってことだよ。」
僕の手首をつかんだ大ちゃんの手が、彼のボトムに伸びてゆく。
デニムの生地を通してでも感じられる熱は、僕の熱と同じだった。
「あっ・・・。」
「・・・な?」
思わずひっこめた指先に、いたずらっぽく笑う。
笑みの形を作ったままの唇が、ふんわりと降りてくる。
ちゅ。と軽く音を立ててついばんだかと思えば、またすぐに帰ってくる。
何度も何度も押し付けられ、徐々に深さを増してゆく。
奪うだけじゃなく、誘うように舌先を甘くくすぐられる。
おずおずと伸ばした舌先をあやすように舐められ、胸に甘酸っぱいものが走る。
触れてほしいと願った通りに、頬を温かく大きな手のひらが包み込む。
されるがままになっていた僕の手をとり、大ちゃんの手のひらに重ね合わされる。
あったかい。気持ちいい。
「気持ちいい」には二種類あることを知った。
欲望だけの気持ちよさと、二人で作り上げる気持ちよさ。
心が通じる、ってきっとこういうことを言うんだ。
監督の言っていた「合わせる。答える。」ような演技というものが、どういう動作で表現できるのかわかんなかったけど、今ならわかる気がする。