晴れて高原ホテルの清掃員になれたぼくは、制服のポケットに晴れがましい気持ちで名札をつける。

<清掃員・浜尾>

きらびやかな世界に憧れていないと言えば嘘になる。
ぼくがこの仕事に憧れたきっかけは、お洒落で大人な雰囲気のイメージがあったからだ。

あれは小学生になっていたか。
親戚の結婚式か何かで改まった場だったと思う。
真っ白いテーブルクロスに慣れないナイフとフォーク。
いつものお子様ランチもなんだかツンとすましているように見えた。

失敗しちゃ、いけない。

子供心に理解していたのに、意識すればするほど緊張はしてしまい、派手にぶどう色のジュースをこぼした。

周りの大人は顔では笑っていたけれど、空気が悪くなったのは子供でもわかった。
自分が悪いのはわかっているのに、失敗してしまった自分が恥ずかしくて、「ごめんなさい。」を言うことすらもできないで俯いていたぼくの頭を撫でてくれた人がいた。

「心配しないで。」

どこからか現れたスーツ姿の大人の人がテキパキと汚れてしまったクロスやら床やらを片付けてゆく。
みるみるうちに綺麗になってゆく光景に、魔法みたいだと呆けていた。

何もできずにぽーっとしていたのは一瞬で、すぐに周りの大人たちも楽しそうな空気に戻る。
帰り際にもぼくのことを覚えていてくれて、自動ドアのガラスの向こうで手を振ってくれた。

後から、その人は魔法使いでも何でもなく、お仕事として働いているだけだと知ったけど、ぼくにとってはいつまでも記憶に残る特別なできごとだった。


「・・・まあ、こんな感じでホテルと言っても名ばかりでアットホームんな感じなんだけどね。」

オーナーさんの声に古い記憶から引き戻される。

案内してもらった館内は、2階建てで、20部屋しかないこじんまりとした造りだった。
天井も、壁も、床も、総ムク材で、まるで森に抱かれているみたいた。
ホテルと言えば、真っ赤な重厚な絨毯に高級感を出すために暗めの照明、というイメージだったけど。

------こんな雰囲気にしたオーナーさんのセンス、尊敬するなあ。

まるで周りの景色に溶け込むような優しくてナチュラルな空間。


一通り案内され階段を下りようとすると、登ってくる人影とすれ違う。

「オーナー。おはようございます。」
「ああ。渡辺君。おはよう。」

ドキン。
渡辺君、と呼ばれた人がこちらを向いた瞬間、心臓が跳ねた。

優雅な身のこなしでも、均整のとれた筋肉がついていると一目でわかるぴったりとしたベストを嫌味なく着こなしている。

「・・・あれ?オーナー。その子は?新入りさんですか?」
「・・・ああ。明日から清掃員として働いてくれる浜尾京介君。」

「そう。よろしく。」

ふわりと微笑んだ笑顔があまりにも綺麗で。
握手を求めて差し出された手に反応できずに、その手をじっとみつめてしまった。

「あの。はじめまして。」

気がきいた自己紹介のヒトツもできずに、もたついてしまう。

「緊張してるの??・・・大丈夫。みんな最初は初心者なんだから。」

握手をしなかったことに腹を立てるでもなく、差し出した手でくしゃ、と頭を撫でてくれる。
・・・おっきくて、あったかい手が、心地いい。

この場所で、この人と仕事ができるんだ。

オリエンテーションが終ったばかりだというのに、明日が待ち遠しくて仕方がなかった。