初出勤の日は、ぼくの心を映し出したような晴天だった。
すうっと胸いっぱいに空気を吸い込んで、自己紹介する。

「今日から清掃員として働かせていただくことになった浜尾京介です。」

ぺこり、と頭をさげてから視線をあげると、歓迎ムードの笑顔に包まれた。
目尻に皺の寄ったいかにも優しそうな厨房スタッフ。
穏やかな人格がにじみでているようなフロア担当。

最後に、昨日出会ったばかりの渡辺さん。

ピシッとスーツを着こなした渡辺さんは、大人の雰囲気で、かっこいい。
自信が自然と満ち溢れるような堂々とした話方で、彼が言うことは何でも正しい、と思えるような雰囲気を纏っている。
彼が声を発すると、ぴりりといい感じに空気が締まる。

大人の男の人、って感じだ。

・・・へえ、コンシェルジュ、なんだ。
ほんわかなんでも許してしまうようなオーナーさんと、いいコンビかも。

「さあ。これでスタッフはそろったね。
浜尾君には、お客様が帰ったあとの部屋の掃除と、ベッドメイキングを頼むことになります。」
「・・・えっ。あっ。はい。」

浜尾君、と名前を呼ばれて我に帰る。
・・・初日から、渡辺さんに見惚れてぼーっとしているようではいけない。

まだ準備期間のこのホテルは、今はまだ通常の床掃除ぐらいしか仕事がない。仕事がないのに申し訳ないな。という気もするけど、オープンに先駆けて、まずはしっかりとスタッフ同士の交流を図ってチームワークを作るのが目的ならしい。スタッフ間がぎくしゃくしていれば、お客さまに必ず伝わるから。というオーナーさんの説明になるほど、と思う。

お洒落な空間を提供しながらも、我が家のようなくつろぎを。豪奢よりもキメの細かいサービスを、をコンセプトにしているのだから、当然と言えば当然だ。

2階建てのこの建物にはエレベーターがない。
山のようなリネンを抱えて階段を下りようとすると、前が見えずに足を滑らせた。

「・・・うわっ!」

覚悟した衝撃の変わりにやってきたのは、力強く摑まれた腕の感触。

「大丈夫か?足、ひねらなかった?」

ふわり。とほのかなコロンの香りとともに低い声がする。
・・・渡辺さんだ。

「だ、だいじょうぶです」

うう。かっこ悪いところを見られてしいまった。
オタオタと落ち込んでいるうちに、渡辺さんは散らばってしまったリネンを拾い上げてくれ、半分をぼくの腕に乗せた。

「ほら。無理しない。困ったときは助けを呼ぶ。怪我したらサービスも提供できなくなるだろ?」

厳しいことを言われているようだけど、ぼくを覗き込む瞳は優しくて、心配してくれているからこその言葉だとわかった。
表面上の優しさだけじゃないから、みんなに信頼されるのだろう。

山盛りのシーツを手に並んで歩く。
「浜尾君は、どうしてここで働こうと思ったの?」
「・・・えっと、ホテルのサービス業に憧れてて。でも、どこも就職先なくって。
たまたま、張り紙でココを知ったんです。そしたら、すっごい素敵な場所で、ってオーナーに無理言って雇っていただきました。」
「サービス業に憧れて?じゃあ、掃除担当だなんて、不満があるんじゃない?」

オーナーさんと同じ心配をしてくれている。

「・・・もちろん、最初はそう思っていました。でも、表に見えるフロアスタッフの陰で、もっとたくさんのスタッフが関わっていることに気がつけました。」

子供のころには見えなかった世界。
魔法のようにクロスを片付けてくれたスタッフに憧れたけれど、そのクロスを真っ白に洗濯してくれる人材がなければ、あのサービスは提供できない。
外から憧れだけで眺めていた世界とは違う、と他職種の人と関わることで気がつくことができた。
一人一人の人柄まで把握できてしまうこの規模だからこそ、気がついたのかもしれない。大手チェーンのホテルで何もできないくせに、ブランド名に胡坐をかいて一人前気取りになるより、ほっぽど人間的にも職業人としても成長できるだろう。

「・・・そう。君は素直なんだね。ここにきてくれて、ありがとう。」
「・・・そんな。お礼を言われるようなことは・・・。」

自分の力量のなさは棚にあげて、なかば押し売りのようにオーナーさんの善意で雇ってもらったようなものなのに。
まっすぐで、深みのある渡辺さんの声に嬉しいやら申し訳ないやら、で胸がじんとした。


真新しいベットにシーツをかけてゆくのがぼくの初仕事だ。

「手伝っていただいてありがとうございました。」

ぺこり、とお辞儀をした視線の先にはシーツを広げている渡辺さんがいた。

「えっ?ここからはぼくの仕事です。せっかくのスーツが皺になります。」
「いいんだよ。今の俺の仕事はみんなの絆作りだから。それに、一人で前部屋していたら、日がくれるぞ?」

すうっと綺麗な指先がシーツをたどる。
ぱんっ!と小気味いい音をたてて広げられたシーツは、たるみひとつない。

「ほら。浜尾。そっち、持って?」
「えっ?あ、はいっ。」

できる男は何をさせてもできるんだなあ、と感心していると、真っ白いシーツがふわりと目の前に広がった。
あまりにも自然な流れに、すっかり渡辺さんのペースに吞み込まれて、彼の仕事をぼくのほうが手伝っているみたいだ。
一歩引いて見守っているかと思えば、強引に引っ張っていってくれる。自分が頑固なほうだという自覚があるのに、この強引さに身を委ねてしまうのは、心地よいとさえ感じてしまう。

むきだしだったマットレスが次々に真っ白いシーツで埋め尽くされる。
シーツが宙を舞うたびに木の香りに混じってほんのり芳香剤の香りがする。
自分の手が、このホテルをオープンさせるのに少しでも役に立っている。
ちいさな、ちいさなことだけれど、誇りとなってぼくの胸をくすぐった。

「ほらっ。浜尾。次、行くぞっ!!」
「はいっ!!」

ふふ、なんだかすっごく楽しい。

いつの間にか、ぼくのことも呼びすてになっている。
ぼくのことを認めてくれたような気がして、嬉しい。

「ついてこいよ!」とぐいぐいと進んでゆく渡辺さんの背中がすごく頼もしく思えて、どこまでも追いかけていたくなった。


「よしっ!終了-----っ!」
「・・・終りましたねっ!」

びしっとスーツを着込んでいるくせに、腕まくりして、額にうっすら汗までかいて。
無造作に袖でぬぐった後にこんなに無邪気な笑顔。
最後のベッドにシーツを織り込むと、きらきらと輝く瞳でぼくを見つめてくる。
求められるがままに、パチンと掌を合せてハイタッチをする。

高いところで腕組みをしている上司だとは最初から思ってなかったけど、ここまで同じ立場に立ってくれる人だとは思っていなかった。
しかも、仕事としての義務感からでなく、本当に楽しかったと全身からあふれ出ている。

「・・・さて。俺はこれからスケジュール管理の仕事をしないといけないんだけど、浜尾は?」
「終わったら帰っていいよって言われてたので、これで終わりです。」
「そっか。じゃあ、おつかれさん。」

にっこりと笑って、ひらひらと手を振って少し皺のよったスーツの背中が、廊下の向こうに消えてゆく。

なんだか、楽しかった夢からさめたような。
急に一人ぼっちになったような、虚脱感を覚える。

そうか。そうだよね。おしごと、だもんね。
お仕事の仲間だから優しくしてくれただけで。
ぼく個人に親しみをもってくれたわけじゃない。


知り合ったばかりなのに、もっと一緒にいたい。と思ってしまう。
仕事が終った充実感よりも、物足りなさを感じてしまう。

・・・この、違和感はなんだろう?


ひとり、バスに揺られ、電車に揺られ、捕まえようとすると輪郭がぼやけてしまう感情。


昨日は楽しかった帰り道が、今日はこんなに切ない。