昔からこの季節が苦手だったーーー。

雨の日は部活のない兄が早く帰ってくる。

行為自体は肌に馴染んで、日常のような出来事なのに。
後ろめたさと罪悪感と・・・そして、一握りの怯えと期待。

本気で拒もうと思えば、いつでもそうできたのに。
そうしなかったのは、兄に愛される弟のままでいたい。
きっと、心の奥底にそんな願望があったから。

兄を恨んでいるのか?

そうギイにたずねられたとき、「たぶん。」としか答えられなかった。

死んだ人を責めても仕方がないから。
そんなふうに思っていたけれど。

本当は、もっと深い所に一方的に兄を悪者にできない自分がいた。

・・・だって、唯一の味方だったんだ。

表現方法は間違っていたかもしれないけれど、唯一ぼくを理解して愛してくれた存在。

・・・そう、ギイに会うまでは。



「もうすぐ雨が降るね。」

蒸し暑くなってきた5月中旬。

ギイの腕枕に抱かれながら、火照った肌を冷ましていると、
開けっ放した窓から、ふわり。と、湿気た匂いが入ってきた。

「敏感だな。タクミは。」

俺と違って繊細だからなあ。なとど、茶化しているけれど、肘をついて覗き込んできた瞳は、
ぼくを気遣ってくれていた。

あの日を思い出して、辛くなるのか?と。

「・・・大丈夫だよ。今は、この匂いは嫌いじゃない。」

実家にいたころ、アスファルトが湿気を含んでむわっと立ち上る匂いが嘔吐しそうなほど、苦手だった。

兄の忌まわしい手と、ぼくが殺したんだ。という無言の重圧と。
誰の目から見てもぼくは被害者で、誰もぼくを責める人間などいなかった。
ぼくは、安心して兄を悪者にして殻に閉じこもっていればよかった。
・・・はずだった。

この季節が来るたびに、時間の経過とともに、記憶は曖昧になってゆく。

罵られた言葉が全てではない。
侮蔑された視線が全てではない。

優しくぼくの頭を撫でてくれ、愛おしげに抱き締めてくれた。

出来損ないのぼくが、両親から見捨てられていても、
兄がいたから生きてこれた。

忌まわしさと、ぬくもりが同居する記憶。

忌まわしさに兄を憎んでも苦しくなり、
温かかった思い出を手繰り寄せると、自分が兄を追い詰めてしまったのだ。と、苦しくなった。


ギイと兄の墓参りに行けたその日から。

少しずつ日常が緩み始める。

誰が悪いとか、何が正義とかではなく。
誰を責めたり、誰を赦したり。とかでもなく。

兄なりに悩み、不器用に必死に生きようとしていたんだと。
ぼくは、ぼくなりに、大切なものを守りたかっただけなのだと。

幸せになる資格があるとか、ないとか。
兄に問いただしてみたかったけれど。
手を合せた兄は、何も言わずただ全てを受け入れてくれたように感じた。

タクミのことが、かわいくてしかたなかったんだ。
看護師さんに笑顔でそう言っていたという兄さん。
穢れていても、出来損ないでも、そのままのぼくが好きだよ。と言ってくれたギイ。


この雨の匂いは、生きることが苦しくなる雨ではなく。
くっきりとしたラインを優しくぼかしてくれ、こんなぼくでも生きていていいんだよ。

と、言ってくれているような気がした。


「人間って、不思議だね。」
「ん?」

ギイが優しく髪の毛をすいてくれる。

「だって、同じものでも感じ方で全然違うんだもの。」

主語のない曖昧なぼくの言葉に、「何が?」と問わずに、目を眇めて微かにうなづく。

「・・・あ。とうとう降ってきたね。」
「・・・だな。」

ぱらぱらと小気味よい音とともに、一層雨の匂いが濃くなった。

濃厚な雨の香りに包まれて、ぼくはギイの胸に肌を寄せる。

インクが滲むように、全ての輪郭が曖昧になって・・・。


ぼくは、ただここに存在する。

ただ一人の愛する人の腕の中で。



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ひっさびさのギイタクです。
夜から雨。って言ってたのに、一向に降らないな~。と思っていたら、洗濯モノを取り込んでいると、
もうすぐ雨が降る空気の湿気た匂いがしたので、ちょっとうきうきしました^^
雨は嫌いだけど、このアスファルトの湿気た匂いが好き^^

タクミクンは、作品として完結した世界観なので、敢えて浮かんできたことがなかったのですが。
なぜだか今回は、ふと大まおではなく、この二人で映像が浮かんできました^^

・・・なのに、しれっと「敏感だな。まおは。」と打ってしまい、指先の習慣って恐ろしい・・・WW
と、思ったのでした(笑)

まあ、内容に関しては賛否両論あるでしょうが。
自分の大好きな人って、どんな酷い仕打ちをされても心から憎むなんてできない。
・・・と、私は思うのです。

憎めたら、どんなにか楽になる。って思っていてもね。