カチャリ。
静寂に木の扉の開くあったかい音が響く。
入り口のほうに目を向けると、大ちゃんがベストのボタンを外しながら帰ってくるところだった。
「あ。おかえり。お疲れ様。」
「ふぅ。何とか無事に終ったな。」
制服を着ているときは少しの隙も見せないくせに、ドアを開けた瞬間に渡辺大輔としての顔に戻った大ちゃんは少し疲れているように見えた。
「大変だった?」
「うーん。そうだな。やっぱり、初めてのイベントだしな。最初の印象が肝心かと思えば、プレッシャーもあるし。
でも、予想以上にたくさんの人にお越しいただいて、みなさん笑顔で部屋に帰ってくださったから、ひと安心かな?」
前髪をうるさそうにかきあげる気だるげな仕草が、艶っぽい。などと言ったら不謹慎だろうか?
「うん。そうだね。」
ひざ掛けを落として彼に歩みよると、ぎゅ。と背中に腕を回す。
やんわりと抱き締め返され、シャツの匂いと微かに体臭の混じった香りに包まれる。
一日の最後に包まれるこの香りが好き。
コンシェルジュとして働いて、ここに自分たちが存在していた、と感じることができるから。
「・・・あ。そうだ。これ。」
「・・・ん?」
部屋着のポケットに入れっぱなしになっていたチョコの入った小瓶を手渡す。
「なんか、子供っぽくて恥ずかしいんだけど。」
じっと、小瓶を見詰めたまま動かない大ちゃんを見て、もしかして失敗したのか?と、ひやり。とする。
「・・・や。驚いて。」
「・・・驚く?」
そんなにびっくりすることだっただろうか?
あ!買いに行く暇なんてなかったはずなのに、どうして用意してあるんだ?とかそういう類?
それとも、ぼくがこっそりとお楽しみで隠してたこと?
と、言っても別に隠してたわけじゃなくて、大ちゃん甘いものそんなに好きじゃないから自分の部屋に置いてただけだったんだけど。
「アポロチョコってトクベツ、なんだよな・・。」
「・・・えっ!?そうなの?」
意外な「驚いた。」の理由にぼくのほうこそびっくりする。
「うちの姉貴が不器用で実験台にされてた。って言っただろ?
手作りだから~。とかって渡された中に、アポロチョコが混じっててさあ。
彩りというか、見た目の華やかさのために入れたらしいんだけど、俺がめっちゃ感動して
「ねーちゃん天才じゃん!これ、めっちゃ美味しい!」って、アポロだけ選んで食べたら、めちゃめちゃ怒りくるってさあ。
以来、アポロを見ると鬼の形相で怒り狂う姉貴の顔が浮かんで、トラウマになってるんだよ。」
・・・・。
おねーさんに怒り狂われて、しゅんとなっている大ちゃん・・・。
駄目だ、ますます想像できないんだけど。
「ふ、うん?今の大ちゃんからは想像つかない・・・。」
「だから、言ったろ?意外と子供っぽいかもよ?って。」
くすくすと声をたてて情けない幼少時代の話をする大ちゃんは、それでもやっぱりカッコよかった。
「アポロってトクベなチョコってイメージがあるんだよな。だから、嬉しい。許してもらえたような気がして。」
「そんな大層な・・・。」
「そう。今思えばつまらないことだけどな。
子供のころは傷つけられた!って泣きじゃくる姉貴を見て、自分はどれだけ極悪非道なことをしたんだろう?って落ち込んだんだよ。」
「ああ。でも、ちょっとわかるかな。」
子供のことは見えている世界がすべてだと思っていた。
大人になれば、もっともっと世界は無限大に広がっていて、色んな対処の仕方も覚えるんだろうけど。
ぼくがこのホテルに出会って、視界が開けたように。
「多分、まおの見ているコンシェルジュとしての俺、は必死で背伸びしてるんだよ。」
「え?ほんと?そんなふうには全然見えないけど。」
期待を裏切って悪いけど。と、前置きして苦笑している。
生まれつきスマートで大人っぽくて余裕のある人間などいないのだと。
ぼくだって努力すれば、大ちゃんのようになれるのだと手を引いてもらったようで安心する。
追いかけるばかりの背中は、眩しいけれど、時折疲れてしまうから。
「姉貴の友達とかから、かわいい弟みたい。私も欲しい!って散々おもちゃにされてさ~。
まあ、そのたびに姉貴からはすぐ泣くし、手がかかるし、面倒臭いよ~。って文句言われてたけど。
それが悔しくて、恋人に欲しいとか、頼りがいがある。って言われたくて、絶対に大人の男になってやる!って頑張ってたわけだけど・・・。」
一旦言葉を切った大ちゃんが、ぼくのことを見てふふっと笑う。
「まあ、自分磨きに夢中になりすぎて、相手探しを忘れてたんだけど。まおに出会うまで。」
色素の薄い澄んだブラウンの瞳で真っ直ぐに見詰められて、照れ隠しにからかうように言った。
「・・・もしかして、大ちゃんってナル?」
「・・かもな。でも、ナルぐらいでちょうどいいんだよ。努力して、その結果の自分に自信があるってことだろ?
自信が持てれば、自然に立ち居振る舞いも余裕がでてくるし。
優雅に、なんて意識してするマニュアルは、薄っぺらくてすぐに飽きられてしまう。
自分に対する評価を意識しすぎて萎縮するのはよくないけれど、他人から見られる自分というものを意識して成長しよう。と心がけることは向上心にも繋がるしな。」
ああ。だから大ちゃんは自信に溢れているように見えるのに、押し付けがましくなくて、みんなが信頼して慕ってくれるんだ。
見せ掛けだけの自信であれば、偉そうだ。と鼻につくものだけれど。
劣等感というものを、彼は知っている。
静寂に木の扉の開くあったかい音が響く。
入り口のほうに目を向けると、大ちゃんがベストのボタンを外しながら帰ってくるところだった。
「あ。おかえり。お疲れ様。」
「ふぅ。何とか無事に終ったな。」
制服を着ているときは少しの隙も見せないくせに、ドアを開けた瞬間に渡辺大輔としての顔に戻った大ちゃんは少し疲れているように見えた。
「大変だった?」
「うーん。そうだな。やっぱり、初めてのイベントだしな。最初の印象が肝心かと思えば、プレッシャーもあるし。
でも、予想以上にたくさんの人にお越しいただいて、みなさん笑顔で部屋に帰ってくださったから、ひと安心かな?」
前髪をうるさそうにかきあげる気だるげな仕草が、艶っぽい。などと言ったら不謹慎だろうか?
「うん。そうだね。」
ひざ掛けを落として彼に歩みよると、ぎゅ。と背中に腕を回す。
やんわりと抱き締め返され、シャツの匂いと微かに体臭の混じった香りに包まれる。
一日の最後に包まれるこの香りが好き。
コンシェルジュとして働いて、ここに自分たちが存在していた、と感じることができるから。
「・・・あ。そうだ。これ。」
「・・・ん?」
部屋着のポケットに入れっぱなしになっていたチョコの入った小瓶を手渡す。
「なんか、子供っぽくて恥ずかしいんだけど。」
じっと、小瓶を見詰めたまま動かない大ちゃんを見て、もしかして失敗したのか?と、ひやり。とする。
「・・・や。驚いて。」
「・・・驚く?」
そんなにびっくりすることだっただろうか?
あ!買いに行く暇なんてなかったはずなのに、どうして用意してあるんだ?とかそういう類?
それとも、ぼくがこっそりとお楽しみで隠してたこと?
と、言っても別に隠してたわけじゃなくて、大ちゃん甘いものそんなに好きじゃないから自分の部屋に置いてただけだったんだけど。
「アポロチョコってトクベツ、なんだよな・・。」
「・・・えっ!?そうなの?」
意外な「驚いた。」の理由にぼくのほうこそびっくりする。
「うちの姉貴が不器用で実験台にされてた。って言っただろ?
手作りだから~。とかって渡された中に、アポロチョコが混じっててさあ。
彩りというか、見た目の華やかさのために入れたらしいんだけど、俺がめっちゃ感動して
「ねーちゃん天才じゃん!これ、めっちゃ美味しい!」って、アポロだけ選んで食べたら、めちゃめちゃ怒りくるってさあ。
以来、アポロを見ると鬼の形相で怒り狂う姉貴の顔が浮かんで、トラウマになってるんだよ。」
・・・・。
おねーさんに怒り狂われて、しゅんとなっている大ちゃん・・・。
駄目だ、ますます想像できないんだけど。
「ふ、うん?今の大ちゃんからは想像つかない・・・。」
「だから、言ったろ?意外と子供っぽいかもよ?って。」
くすくすと声をたてて情けない幼少時代の話をする大ちゃんは、それでもやっぱりカッコよかった。
「アポロってトクベなチョコってイメージがあるんだよな。だから、嬉しい。許してもらえたような気がして。」
「そんな大層な・・・。」
「そう。今思えばつまらないことだけどな。
子供のころは傷つけられた!って泣きじゃくる姉貴を見て、自分はどれだけ極悪非道なことをしたんだろう?って落ち込んだんだよ。」
「ああ。でも、ちょっとわかるかな。」
子供のことは見えている世界がすべてだと思っていた。
大人になれば、もっともっと世界は無限大に広がっていて、色んな対処の仕方も覚えるんだろうけど。
ぼくがこのホテルに出会って、視界が開けたように。
「多分、まおの見ているコンシェルジュとしての俺、は必死で背伸びしてるんだよ。」
「え?ほんと?そんなふうには全然見えないけど。」
期待を裏切って悪いけど。と、前置きして苦笑している。
生まれつきスマートで大人っぽくて余裕のある人間などいないのだと。
ぼくだって努力すれば、大ちゃんのようになれるのだと手を引いてもらったようで安心する。
追いかけるばかりの背中は、眩しいけれど、時折疲れてしまうから。
「姉貴の友達とかから、かわいい弟みたい。私も欲しい!って散々おもちゃにされてさ~。
まあ、そのたびに姉貴からはすぐ泣くし、手がかかるし、面倒臭いよ~。って文句言われてたけど。
それが悔しくて、恋人に欲しいとか、頼りがいがある。って言われたくて、絶対に大人の男になってやる!って頑張ってたわけだけど・・・。」
一旦言葉を切った大ちゃんが、ぼくのことを見てふふっと笑う。
「まあ、自分磨きに夢中になりすぎて、相手探しを忘れてたんだけど。まおに出会うまで。」
色素の薄い澄んだブラウンの瞳で真っ直ぐに見詰められて、照れ隠しにからかうように言った。
「・・・もしかして、大ちゃんってナル?」
「・・かもな。でも、ナルぐらいでちょうどいいんだよ。努力して、その結果の自分に自信があるってことだろ?
自信が持てれば、自然に立ち居振る舞いも余裕がでてくるし。
優雅に、なんて意識してするマニュアルは、薄っぺらくてすぐに飽きられてしまう。
自分に対する評価を意識しすぎて萎縮するのはよくないけれど、他人から見られる自分というものを意識して成長しよう。と心がけることは向上心にも繋がるしな。」
ああ。だから大ちゃんは自信に溢れているように見えるのに、押し付けがましくなくて、みんなが信頼して慕ってくれるんだ。
見せ掛けだけの自信であれば、偉そうだ。と鼻につくものだけれど。
劣等感というものを、彼は知っている。