「もうそんな時期なんだね。」
スタッフに配られたバレンタインの企画案に目を通している大ちゃんの手元をのぞきこむ。

「俺にはあんまり関係のないイベントだったからなあ。」
指先を唇ではみながら、うーん。と真剣に考え込んでいる大ちゃんの横顔に「うそつき。」とつぶやく。
聞こえないようにつぶやいたつもりだったのに、ふと向けられた視線に真正面からぶつかって焦った。

「嘘じゃないけど?厳密にはもらうよりもいい実験台になった記憶ならあるけど、ってとこかな?」
「・・実験台?」

「そうそう。俺のところバレンタインになっちゃ、不器用な姉がここぞとばかりに急に料理好きになりました!
って顔して手作りチョコ作ってたの。その失敗作というか、成功作なのかわからんようなシロモノを食べさせられてたって日だな。」
優雅に足を組みながら苦笑する大ちゃんからは、そんな過去は想像できないけれど。

「意外、だね?」
「そっか?」

「うん。意外。なんだかいつも余裕があってスマートなイメージがあるから。
おねえさんに可愛がられてたってイメージがないというか・・。」
「・・・ぷっ。可愛がられてたんじゃなくて、おもちゃにされてたんだろうな。」

「・・・ますます想像できないよ。」
「お前が思っている以上に、子供かもよ?俺は。」

綺麗に笑った彼の掌が、ぼくの頭をくしゃくしゃ。と撫でる。
あったかい安心できる手のひらとは裏腹に、彼の笑顔はちょっぴり無邪気な気がする。と、感じた。

「んー・・・。どれにすっかな。」

再び悩みだした大ちゃんの隣に腰掛けた。

せっかくだから、ぼくも何かしてあげたいな。
お茶さえもほとんど淹れたことがないから、お姉さんよりも酷いだろうけど。

「・・・なあ、お前はどれがいいと思う?」

横顔に見とれていると、手にした企画案をずいっと差し出される。

バレンタイン特別メニュー
手作りチョコ教室
チョコレートフェア
チョコレートフォンデュ

どれも美味しそうだけれども、どれもどこかで聞いたことのあるような企画で。

「うーん・・・。どれもそれなりにいいけど、このホテルで、って必要性を感じないよね?」
「やっぱお前もそう思うか?」

一生懸命頭をひねってくれたんであろうオーナーシェフさんには申し訳ないけれど。
様々な企画を催して、集客を狙う大手ホテルにまともに真っ向勝負したってかないっこない。

雪深いこのキンと冷えた空気。
雪が降る音は聞こえないはずなのに、地面にゆっくりと落ちてゆく音が聞こえそうなぐらいの静寂。
時折、ぱさり。と屋根に積もった雪が滑り落ちる音。
星空と一体になったかのような控えめなイルミネーション。

個室に止まっているお客さんが思い思いに毛布を手に持って、自然に集う暖炉。

揺れるキャンドルに丁寧に淹れた紅茶があったかい湯気を立てる。

にぎやかで派手なバレンタインもいいけれど、オーナーさんとぼくたちの愛するこの世界観。

きっと特別なことなど何もなくていい。

「・・ねえ?大ちゃん。バレンタインに豪華なチョコとかもらうのって嬉しい?」
「どうかなあ?一般的にはそうなのかもしれないけど。
きっとこのホテルを訪れる人は、そんなこと期待していいないよな?」

「・・・うん。ぼくもそう思う・・・。」

レストランにいても自然が感じられるように、と一面硝子ばりにされた窓が気温差で曇っている。
すりガラスのような優しい光を通す硝子が切り取る風景はそのままフォトフレームに入れて飾りたいぐらいだ。