きっと大まおファンさんは今頃トリゾをリアルタイムで見ているであろうこの時間帯。

今日は、長男の支援学級についても面談に行ってきました^^
一時間の予定だったのに、しっかり2時間半もお話して、なんだか私自身のカウンセリングをしていただいた感じがしますW

今日も頭が痛い。と学校を休んだ長男。
でも、みなさんの言葉で随分と心が軽くなっていた私は
「じゃあ、学校に連絡しないと。薬飲んだ?じゃあ、10分遅刻でいい?」と連絡して仕事に行ったら、学校に行っていなかった。とゆー・・・。
よく考えれば、いってきます。と普通に家を出て行って、私が仕事に行っているだろう。と思って帰ってきたらまだいたからサボるつもりがばれちゃったWってとこだったんでしょうね。

じっくり話をすれば、どうやら支援学級に行くのが嫌で休んだみたいW
支援学級と言っても、もちろん学力に問題があるわけではなくて、コミニュケーション障害だとか、他動の子だとか。
生活能力に問題のある子を支援する週に一回程度の授業なの。
不登校の子は、めいっぱい一日二時間その授業を受ける子もいるし、月に一回の子もいるんだって。

先生にしてみれば、いじめや人間関係で学校にいけないのなら、とすすめてくれた支援学級なのに、それが嫌で学校に行けないのなら本末転倒だから受けなくていいよ。
その代わり安易に学校を休まないこと、。って話したら自分から今度は行く。と言い出してW

これが本人に選択させる。ってことか~~。とちょっとわかった。

無断で休むと迷惑がかかる、って怒ってたら、ちゃんと塾にも自分で連絡いれていたし。
本当なら、休んだ時点で怒ってしまうだろうけれど、きちんと連絡を入れたのは偉かった。
遅れるか、休むかわからない。って連絡入れた。と言ったのでどっちにするの?と本人に選択させたら休む。と。
じゃあ、テスト前だし家で勉強する?ということになりました。

その後、例によって(嫌なこと、しなければならないこと、があるとトイレにこもるのね。彼は)トイレにこもったので、
怒りたくなったけど、「あと一時間しかないで。どうするか自分で考えよ~~。」と20分ぐらいこもったこころで声をかけて、様子を見ていたら暫くしてでてきて勉強していたみたい。

昔は塾が嫌で3時間!!トイレにこもっていたこともあるからね~~W
閉所大好き症なんだろうね(笑)

今まで、やらなければならないことを指摘されるとお腹が急に痛くなるのは、本当に痛いのかもしれないけど、
それは現実から逃げている己の弱さ故。
逃げてどーする。それで、何か解決するか?むしろ悪いほうに向かうだけ。と正論でせめてたんですよね。
私自身の価値観が強くあれ。
常にちょこっと背のびをするぐらいであれ。
と思っているので。

「風呂にはいりなさい。」と言ってもトイレにこもるんだけど、
「入りなさい。」と言われて入る人間は、本当に言われるまで気がつかなかった子。

言われてトイレにこもるのは「しないといけないのはわかってるけど、できない。したくない。かまってほしくない。のサイン」と言われて、なるほどな~~って思いました。


これ、前にもどっかで聞いたことがあるなあ。と思ったのですが。

つのつく年齢(9歳までここのつ。ってことね)までは、親の言うことを硝子びんにビー玉を入れるように受け入れる。
10歳になると、一旦それを全部捨ててしまう。
そこから。9歳までに集めた分量と同じ文だけ親以外のところから価値観を拾い集めてくる。

と、教えてもらいました。

私も、小学生のころは夕食後に母と色んな話をして反発したりもしなかったなあ。
でも、そのぶん、きっと色んなことを考える子供になり、反抗心も人一倍だったんだなあ。と思って。

長男だし、道徳的なことや色んな社会においてのルールなどはうるさいほどに9歳までに詰め込んできたから。
後は、親には反発しても、他から同じ分量だけきちんと拾ってきます。
と言われたときに、あれだけたくさん話してきてるだから、だいじょうぶか。と思えました^^

要は9歳までは目いっぱいかまい倒して、きびしくしつけるけど、10歳を過ぎれば手を離しなさい。
ってことですね^^


昔はね。
心臓の手術が失敗して姉がもし死んだら立ち直れないから、身代わりにアンタを生んだ。と言った母にキズつけられた。と思っていたのね。

ほんと、大した苦労もしてなくてのほほんと生きてきてしまった割に、自分の存在価値とはなんだろう?って常に考えてた。
今、姉はすっごく元気でむしろ私よりも丈夫なぐらい。

・・・・じゃあ、元気な姉がいるのならば、私は必要ないんじゃないか。って思ってしまったのね。
今はそんなふうに思っていないけど。

ただ生きているだけならば、私は必要ない。
だから、人一倍がんばらなきゃ。優等生でいなきゃ。
社会に貢献できるようにならなきゃ。
何事にも全力投球して、命を縮めるぐらいでなきゃ、生きていてはいけない。じゃないけど、そんあふうに自分を追いつめて強くあれ。と叱責してた部分があるのかなあ。と今日初めて気がつきました。

・・・だから貧乏性なんだよ。
ちょこっとでもぼーっとしている時間があったらもったいない。自分が許せない。って思ってしまう。

・・・だから、それが悪いのか。って言えばやっぱり良い悪いじゃなくて、私はそういうふうに親に言われて姉の身代わりだったから、今、ひたすら強くあれ。って思ってしまう価値観をもっているんだな。って思ったの。

直接先生とそういう話をしたわけじゃないけど。

母を恨むとかじゃなくて、そういう過去があったから、今こういう価値観で自分は生きているんだな。って客観的に思える。
それでも、そんな価値観を持っている自分を愛おしいと思える。

だからと言って子供たちは、そんな経験をしていないのだから、「強くあれ。」と育てたところでわかんないんだな。って思ったの。
今の子は生きているだけで素晴らしいんだよ。って教えてこられてるんだもん。

現に、姉は私より厳しく育てられたんじゃないだろーか。って思うけど、全然自分に対して「強くあれ。」じゃないんだもん。どう育てられたか、じゃなくて、どんな経験をしたか。なんだなー・・・。って思うの。



この前、高校生のときの男の子の親友と話ししたときにもちょっと話しにでたんだけど。

自分の存在意義がわかんない。自分が死んでも何も社会はかわらない。
って悩んでいたときに、彼が
「お前が死んでも社会はかわらないかもしれないけど、その変わらない一人一人の人間が集まって社会は構成されてるんねんで」って言ってくれたんやで。って言ったら彼は覚えてなかったけどW

「それは間違ってないけど、今なら命の重さに重いも軽いもない。って言うけど、それは嘘や。やっぱり努力もしないでどーにかしてくれ。って言うどーしようもない人間もいれば、尊敬できるような人間もおる。って付け加えるな。」って言ってました。

それは、私も長く生きていると(ってそんなに年でもないけどW)共感することろがあって。
やっぱり、どーせ生きるからには「あ~、あの人死んでくれてほっとしたわあ。」って言われるより、悲しみ惜しまれる存在でありたい。って思うんですよね。

人の死に様に立ち合わせていただく場面にいると。
やっぱり死ぬときにその人の命の重さ・軽さ。みたいなものを感じます。

それは、やっぱりその人がどう生きてきたか。だと思うんですよね。


・・・って何だか話が脱線してわけがわかんなくなりましたが。


自分への覚書みたいな意味もこめての記事でしたが、同じようなことで悩んでいる人がいたら。

この記事を読んで少しでも、癒されますように。



ここのところ、本当にお話もイラストもかけなくってごめんなさい。

こんな個人的な記事を読んでくださってありがとうございました^^



・・・・眠い・・・・。トリゾももう終っちゃったかな~~。
休日にゆうるりとTSで見よっと^^