どうもこんばんは、りんですm(_ _)m
参拝していて、ふと見上げたら…
スズメバチの巣がっ∑(゚Д゚)
茨城県常陸大宮市国長834
真言宗 豊山派
五佛山 阿彌陀院(あみだいん) 西蓮寺
寺号標
参道
山門
山門扁額
本堂
本堂扁額
観音さま
灯篭
創建は不詳だが、口伝によると弘法大師の奥州巡錫の折、当山を開創したともいわれる
なお「新編常陸国誌」によると、15世紀に有榮により開基と記されています。
下野国福原(栃木県大田原市)の宝持山金剛寿院伝法寺の末寺である。
宝徳2年(1450)、祐誉上人により中興
寛文3年(1663)の徳川光圀による社寺改革により寺領削減を受けたとされる
元治元年(1864)、天狗党の乱により寺域荒廃
明治35年(1902)、暴風により本堂倒壊後に本尊を薬師堂へと移し現本堂建築
こちらは去年10月の常陸太田指定文化財集中曝涼の時の参拝となりますが…こちらは同時共催された常陸大宮市にある寺院になります。
ここでは茨城県指定文化財・阿弥陀三尊の公開でありました。
こちらの寺は農村地帯にあるのに、鎌倉時代の中央仏師が造った仏像があるという事もあり?まして…江戸期には常陸国の真言宗では格式高い寺だったといわれています。
また、本寺である金剛寿院は那須氏の庇護を受けて栄え地域本山として多数の末寺を持っており、下野国から常陸国北西部へと真言宗の拡がりが動線としてわかる寺なのかなと
旧緒川村八里地区には多数の金剛寿院の末寺がありまして…現在まで存在するのはこちらのみとなります。
明治維新後に寺院は廃仏棄釈の煽りを受け、全国的に多数の寺院が廃寺となりました…
ですが、常陸国の寺院はこれより前に試練の時があったのです
徳川光圀・綱條・斉昭などにより寺社の整理が行われました。
水戸藩領の6割にあたる1400寺が破却または処分を受けまして…
旧緒川村だけに絞ると、寛文年間には光圀により52ヶ寺のうち42ヶ寺破却
天保年間(1830-1844)には斉昭により10ヶ寺のうち3ヶ寺破却
明治維新後の廃仏棄釈により、江畔寺とこちらのみのたった2ヶ寺しか残らなかったのです。
とまぁ、こんなに激しい弾圧をくぐり抜け残った寺ですから…有り難みが違うかな?
光圀の処分には明確な規定があったそうでして「諸宗非法式様子覚」に破却の条件が記載されていました。
①息災(祈祷)・滅罪(葬祭)ともに行わない寺
②禅宗・浄土宗・日蓮宗の寺で宗門の法式に背き祈祷ばかり行っている寺
③祈祷ばかりで葬祭を本意としない寺
④檀家が全くいない寺
⑤町屋敷・百姓地にある寺
⑥住持が掛け持ちの寺
この他、無住の寺・元和年間(1615-1623)以後創建の寺も破却
とまぁ、このような厳しい条件により多数の寺院が破却となりました。
いろいろと考えはあったのだろうが、ここまでやらなくてもよかったのではないだろうと私は思うのだが……
スズメバチの巣がっ∑(゚Д゚)
留守でしたσ(^_^;)
びっくりしたな……もぅ