どうもこんばんは、りんですm(_ _)m


こちらは厳密には廟所なので寺院ではないのですが、寺院管理という事で寺院のカテゴリーに分類しています。


山形県米沢市御廟1丁目5-30
上杉家廟所(うえすぎけびょうしょ)
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参道

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案内看板

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初代 謙信公

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中心より向かって左側

{C94530B8-62B0-4BBB-97BF-1175CAA4C174}十二代 斉定公

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世子 顕孝公

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十代 治憲公

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八代 宗房公

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六代 吉憲公

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四代 綱勝公

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十四代 茂憲公記念碑

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二代 景勝公



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中心より向かって右側

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三代 定勝公

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五代 綱憲公

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七代 宗憲公

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九代 重定公

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十一代 治廣公


こちらは上杉家代々の廟所でして、米沢藩上杉家の初代である謙信公から十二代の斉定公までの藩主の墓地であります。


ですが、治憲公の世子である顕孝公の墓地と十四代茂憲公の記念碑も廟所にあります。


廟所の歴史としては、元和9年(1623)に景勝公が死去し現在地に埋葬されたのが始まり


その後、八代宗房公までは火葬にて埋葬し入母屋造の御堂を建てていたが、九代宗房憲公からは土葬となり宝形造の御堂となる。


これは治憲公(鷹山)の倹約令に基づいており、以前の御堂よりも材質や造りを簡略化した事による。


明治になり謙信公の廟所が米沢城内より移転され現在の廟所の配置となる。


謙信公の墓が移転前は中央に景勝公の墓地があり、右→左→右と代々の墓地が配置されていた。

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謙信公墓地移転前の配置

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現在の配置


なお、明治政府の沖縄県令だった十四代茂憲公の記念碑は沖縄県の有志により建てられたものになります。


茂憲公の墓所は、東京都港区白金の興禅寺に存在しています。


ちなみに、十三代の斉憲公の墓地も興禅寺にあります。


昭和59年(1984)、国指定史跡に登録



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拝観受付にていただけました


配置図は米沢藩主上杉家廟所のサイトより引用いたしました、この場を借りてお礼を申し上げますm(_ _)m