どうもこんばんは、りんですm(_ _)m
さて、前記事と同じく今回も熊野神社ですが、こちらは新宮熊野神社や長床と言った方が皆様に知られているのではないですかね?
福島県喜多方市慶徳町新宮2258
熊野神社(くまのじんじゃ)
鳥居
社号標
手水舎
狛犬
拝殿(長床)
長床内部
本殿階段
本殿(新宮殿)
本殿(本宮殿)
本殿(那智殿)
文殊堂
鐘楼
創建は天喜3年(1055)、源頼義が前九年の役へと向かう途中、東北の和平を紀州熊野三社に祈願し、熊野堂村(現・会津若松市河東町熊野堂)に勧請
応徳2年(1085)、源義家が後三年の役の際に現在地に遷座させ熊野新宮社とする。
この際、熊野本宮社を岩沢村(現・喜多方市上三宮町)に熊野那智社を宇津野村(現・喜多方市熱塩加納町山田)を創建
その後、本宮社と那智社が現在地に遷座
建暦2年(1212)、佐原時連が現在地近くに新宮城を築き新宮氏を名乗る
新宮氏は熊野神社を守護神と崇め、保護に努める
永享5年(1433)、蘆名氏により新宮氏が滅亡し衰微していく
慶長6年(1601)、蒲生秀行が会津入部し、社殿を補修
慶長16年(1611)、会津地震により社殿倒壊
慶長19年(1614)、蒲生忠郷により社殿再建
この時、用材はそのまま使い以前より小さい拝殿が再建される(現在の拝殿)
明治5年(1872)、郷社列格
昭和2年(1927)、県社列格
昭和38年(1963)、拝殿(長床)が国重文に指定
御祭神は家都御子神・熊野速玉男神・熊野夫須美神
さて、こちらは前述したとおり熊野神社という名前より新宮熊野神社、もしくは長床として知られている神社になります。
今でこそ長閑な農村地帯に鎮座していますが、最盛期には300余の末社や寺院霊堂が立ち並び、100人以上の神職がいたそうです。
そういう歴史を知っているが故に、今の長閑さを見ると時の流れを感じてしまいました。
しかも、神社は地区で護っているらしく本務社でもないとか……これにはビックリしました∑(゚Д゚)
また、拝殿前のイチョウがまた良いのですよ( ´ ▽ ` )ノ
イチョウという事で秋の写真
なかなかいいでしょ( ^ω^ )
今回は夏に参拝しましたが、秋にも行きたいなと思いましたね( ´ ▽ ` )ノ
拝観受付にていただけました。
また、イチョウの写真は裏磐梯高原ホテル様の公式Blogより写真の使用許可をいただいております。
この場を借りてお礼を申し上げますm(_ _)m