どうもこんにちは、りんですm(_ _)m
ストックをちょっとづつ消化中(笑)
なんか、久しぶりの茨城県の神社だなぁ……
社務所にていただけました。
茨城県古河市中田1337-7
鶴峯八幡宮(つるがみねはちまんぐう)
一の鳥居
扁額 右(正一位香取宮)
扁額 左(正八幡宮)
社号標
参道
二の鳥居
茅の輪
手水舎
狛犬
拝殿
本殿
神楽殿
治承4年(1180)、治承・寿永の乱の際に源頼朝の命により下総武蔵の豪族が参集(下川辺の挙兵)し、富士川の合戦へと向かう
この際、参集の目印とされたのが川辺の小高い山であり、ここに鎮座していた稲荷に戦の勝利を祈願し、合戦に勝利し神徳を感じた頼朝
養和元年(1181)8月、相模国鶴岡八幡宮より分霊を勧請し創建
この時、鶴岡八幡宮の守護神ともされる丸山稲荷も勧請する。
その後、奥州藤原氏討伐の際も頼朝はこちらで戦勝を祈願したとされる。
天福2年(1234)、下総国香取神宮より分霊を勧請し合殿となる
元弘年中(1331-1333)、新田義貞が平高時との戦いの際に参籠
永禄11年(1568)、所領五千石・社地五百石を寄与される
元々は現在の利根川河川敷付近にあった上伊坂村に鎮座していまして、この頃の名前は上伊坂八幡宮とも鶴ヶ峰八幡宮とも呼ばれていた。
江戸初期に日光街道の中田宿が開宿された時、宿場の東にあった古墳上に遷座
大正元年(1912)、利根川改修工事の為に現在地に遷座
御祭神は誉田別命・神功皇后・経津主命
こちら、江戸期には日光街道鎮守ともされた神社でして、日光街道を歩く旅人は旅の安全を祈る5柱を祀る末社殿の前で足踏みをして安全を祈願したとされまして、現在も旅の安全や足腰の健康を祈願する方がいるそうです。
社務所にていただけました。
こちらでの授与の際、八幡さまだけにしている帳面に書いていただいたところ、こういうのに書けるのは有難いと仰っていました。
私みたいに、特定の系統だけにしている帳面を使っている人って少ないのかなぁ?