どうもこんにちは、りんですm(_ _)m
半年前の参拝記事となります……少しずつでも更新しないと、大量にあるストックが減らないどころか、ストックが増えてるんです(笑)
千葉県香取市大倉1
側高神社(そばたかじんじゃ)
創建は神武天皇18年(前643)、経津主神が高天原の神を奉斎したとされる
この側高神社、下総國一宮香取神宮の第一摂社として知られており、第一末社とされる大戸神社と共に香取神宮と非常に関わりのある神社になります。
寛元元年(1243)、香取神宮と共に社殿造替
慶長12年(1607)、元禄13年(1700)、幕府により香取神宮と共に社殿修造
御祭神は側高大神
御祭神は「言わず語らずの神」として口外を戒められた為、近郷住民の間に様々な説が生まれるも、明治時代に香取神宮神官である伊藤泰歳が記した「香取神名記」によると皇産霊大神とされた。
ですが、神社よりいただいた由緒書きによると、天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神の造化三神になっていました。
三箇の甕は四季の甕とも呼ばれており、写真の奥側から春の甕・夏の甕・秋の甕・冬の甕と言い、この甕に溜まった水がその季節の降水量を示すとも言い、これをもって占いの基礎としたとされます。
また、「髭撫祭」という祭りがありまして…
これは鎌倉時代の建保2年(1214)、経津主神の神徳を称え、国土平安、五穀豊穣、子孫繁栄を祈念して始まったとされ
新旧の当番の人が髭を撫でたら大杯で酒を飲むという、飲み比べの神事なのですよ
旧記には「強いて三杯飲ましむる例なり」とあり、髭撫で三杯とも呼ばれるそうです。
今でいう、駆けつけ三杯とは…意味合いが違うか(笑)
東国三社には含まれてはいませんが、東国三社と一緒に参拝してはどうでしょうか?