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群馬県沼田市上発知町445
曹洞宗
迦葉山 龍華院 弥勒護国寺(みろくごこくじ)
創建は嘉祥元年(848)、桓武天皇の皇子・葛原親王が慈覚大師を招き、国家繁栄・民主安泰の鎮守護国寺(天台宗)として開かれる。
康正2年(1456)、天巽慶順禅師が行脚の際に慈雲律師の徳を慕い来山、慈雲律師は天巽禅師の戒定慧の三学・座禅の徳風に感得し天台の宝燈を譲り入定したとされ、ここから曹洞宗になる。
江戸初期には徳川家康の祈願所となり、朱印100石・格式10万石・718町歩が下賜される。
こちら、沼田市の北部に位置する迦葉山(かしょうざん)にある寺院でして、天狗なお寺さんです。
この天狗ですが、天巽禅師の弟子であった中峯がいたそうで、禅師が二世大盛禅師に譲られた際
「吾、迦葉尊者の化身にて己に権化化業は終わった、よって今後は永くこの山に霊し末世の衆生の抜苦与楽せん」と言い、案山峰より昇天しそこには天狗の面が残されていた。
その後、中峯大薩として祀られ迦葉山信仰の中心となったそうです。
こちらのお参りは、中峯堂より天狗面を借りて帰り、次の参拝時に借りた面を持って来て、新しい面と借りた面を納める慣わしとなっているそうです。
私は、次にいつ来れるかわからないので天狗面は借りては来ませんでした(;´Д`A
御朱印
また、こちらには沼田藩主・真田信利の墓もありまして、真田信吉の長男で、信吉の父は真田信幸になります。
という訳で、現在放映中の大河ドラマ・真田丸に若干所縁があるかな…σ(^_^;)
この信利、沼田藩主ではありましたが、沼田藩真田氏を潰した人でもあります。
本家である松代藩真田氏の石高10万石に対抗し、実高3万石であったのを14万4千石と幕府に申告したという、ものすごい過大申告をしたのです。
これにより沼田領はとてつもない重税を課せられる事となり、その他いろいろあって改易となったのだ…
本家を継げなかった事が過大申告の遠因だろうが、その面子の為に重税を課せられる住民にとってはたまったものではないだろう(;´Д`A