どうもおはようございます、りんですm(_ _)m
なんか久方ぶりの更新に…ホント忙しくて(;´Д`A
そんな訳で、調べの甘い記事になってしまってますが…ご了承頂きたいm(_ _)m
福島県南相馬市原町区中太田143
相馬太田神社(そうまおおたじんじゃ)
社号標
参道
鳥居
手水舎
社号標
狛犬
本殿
足緒神社
男山八幡神社
社伝によると、承平年間(931-937)平将門が下総国守屋城に妙見社を創建したのが始まりとされる。
その後、平将門の子孫である千葉師常が源頼朝の軍に従い奥州征伐の功績により陸奥国行方郡(現・南相馬)を賜り、相馬氏初代となる。
元享3年(1323)、相馬重胤が行方郡太田別所に移り住み、相馬氏の氏神・妙見尊を奉じ舘の内に宮祠を創建し祀る
つまり、社伝では平将門になってますが…実際には相馬重胤の創建と考えていいでしょう。
文政6年(1823)、本殿再建
明治5年(1872)、神仏分離令により妙見菩薩を医徳寺に遷し、御祭神を天之御中主神とし妙見宮から太田神社へと改称
昭和28年(1953)、相馬太田神社と改称
御祭神は天之御中主神
こちらは相馬の名前の発祥地でもありまして、福島県の祭りで有名な相馬野馬追を開催する妙見三社(相馬小高神社・相馬太田神社・相馬中村神社)の1つになっています。
社殿下にある祈祷殿は、江戸期の別当寺であった真言宗亀岡山星蔵院妙見寺の建物をそのまま使用しているそうです。
また、社頭の道を挟んだ向かい側に相馬郷発祥地の石碑もあります。
さて、こちらの神社は相馬重胤がこの地に下向した時に創建したのですか…
社伝では、前述の通り下総国守屋城内(現・茨城県守谷市)にあった妙見社でありまして、その妙見社も平将門が承平年間に下総国猿島郡に創建したものを遷座させたそうです。
そこで、猿島郡(古河市総和地区・境町・坂東市)で妙見社があるかなと探してみるが…
妙見と名乗っている神社は無く、妙見信仰であった神社が祀る御祭神は天之御中主神であることが多いので、探せば見つけられるかも知れないが、創建して間も無く守屋城へと遷座した事を考えると、例え見つけたとしても全くの別物の可能性が高いですよねぇ(;´Д`A
あと、妙見菩薩は日蓮宗寺院に祀られる事が多いのですけど、日蓮が生まれたのが平将門の遥か後世なのでその線も薄いんですよ…
まぁ、猿島郡内に日蓮宗寺院も数ヶ所あるので調べるのも吝かではないが徒労に終わる予感が(笑)
その内きちんと調べてみようかなとは思うが、仕事絡みで最近マジに忙しいんで……いつになる事やらσ(^_^;)