どうもおはようございます、りんですm(_ _)m


やっと2月参拝記事に入りました(笑)


茨城県守谷市本町629
八坂神社(やさかじんじゃ)
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一の鳥居

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二の鳥居

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力石

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手水舎

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狛犬

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拝殿

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本殿

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境内社

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尾鑿山

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狛犬(境内社)

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幸結びの御神木

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境内


創建は大同年間(806-810)、天の窪と呼ばれる地(現・守谷市高野)に神主・吉信が守谷郷の守護とし・牛頭天王宮を祀ったのが始まりとされる。


慶長3年(1598)、守谷城主・土岐定政により現在地に遷座


寛文2年(1662)、焼失


寛文3年(1663)、堀田備中守により再建


寛文5年(1665)、焼失


寛文11年(1671)、守谷城主・酒井河内守により再建


元禄5年(1692)、関宿城主・牧野備後守により修営


明治元年(1868)、牛頭天王社から現社名に改称


明治5年(1873)、村社列格


御祭神は素盞嗚尊


こちら、守谷の市街地に鎮座していまして…守谷総鎮守と呼ばれています。


さて…


大同年間創建ですが、ちょっと怪しいらしいみたいですσ(^_^;)


私が見た資料では、大同年間創建の決め手となった神鏡(下総国守谷郷牛頭天王守護所 大同元年丙年九月二十七日 神主 吉信)は後世の作として否定していました。


大同元年に守谷という名前があったかというところでの否定なんですよ…


この守谷の名前の由来は諸説ありますが、良く知られているのは3説ありまして


日本武尊が東征の折に「森なる哉」
平将門が入江に守られた土地を「守るに易き谷」
郡司の官衙・屯倉があった事から「まもりびと」「もりや」


こんな感じなんですが、平将門説は大同年間よりずっと後なのでおかしいし、またこの地区の官衙は利根川の向う側の我孫子市の日秀西遺跡ですから…


日本武尊説が正しければしっくりくるものの、何というか眉唾もの感がσ(^_^;)


とにかく、創建あたりが若干怪しげではあるものの住宅街にある神社なので一服の清涼感がもたらされるかな( ´ ▽ ` )ノ


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授与所にていただけました



茨城県ではあまりお目にかかれない尾鑿山が見れたっていうのが、ちょっと嬉しかった( ´艸`)