どうもおはようございます、りんですm(_ _)m
や、ヤバい……
1月の参拝記事が終わる前に4月になりそうな感じに((((;゚Д゚)))))))
茨城県桜川市西小塙1677
関東花の寺百ヶ寺 茨城五番札所
天台宗
曜光山 見明星悟道院 月山寺(がっさんじ)
庫裡
創建は延暦15年(796)、徳一大師により法相宗の寺院として開山される。
大治2年(1127)、橋本城(現・桜川市上城)主・谷中将国が菩提寺とする。
永享2年(1430)、住職・光榮の時に天台宗に改宗し中興
元和元年(1615)、徳川秀忠により格式10万石・朱印地65石を与えられ現在地に移転、天台宗関東八ヶ檀林の1つとなる
寛永13年(1636)、焼失し笠間藩主・浅野長重により再建
平成10年(1998)、栃木県二宮町大根田(現・真岡市大根田)の廃寺となった長栄寺より観音堂を移築
さて、こちらは関東八ヶ檀林の一つで10万石の格式を持っていた寺院でして…
長い院号を持つだけでも格式がありそうだなと思いますよね( ´ ▽ ` )ノ
ここは笠間藩の領地でありましたが、笠間藩よりも格式が高いという逆転現象が起きていた寺院でもありました。
とりあえず、元和元年以降の藩主家石高
松平(戸田)家…3万石
永井家…5万2千石
浅野家…5万3千石
井上家…5万石
本庄家…5万石
井上家…6万石
牧野家…8万石
とまぁ、藩主家よりも高い格式を持っていたので藩主家としてはあまりいい気分はしなかっただろうなぁとσ(^_^;)
あと、気になるのが幾つか
あるガイドブックによると、山門と庫裡が鎌倉時代・書院が室町時代建立と記載されており…
ここに移転して来たのが江戸初期という事を鑑みるに、それ以前の建物があるのか?
移転前の場所から移築したのならわかるが、寛永年間に焼失した事からもおかしいとしか思えない…
運良くその建物は燃えなかったと考えると辻褄は合うんだけど、江戸期の消火活動で本当に燃えなかったのかと疑問が?
桜川市内のある神社の宮司さんも、江戸初期に移転したのに室町期の建物があるのか?って事に対して疑問を呈していました。
そういう疑問点はともかく、天台宗関東八ヶ檀林の一つである寺院ですので、参拝してはどうでしょうか?
御朱印
こちらの美術館、なかなかいい物も所蔵していまして…
弁慶が使っていたとされる?国重文である網代笈もあります。
余談ですが、藩主家の所で出した浅野家ですが
あの赤穂浪士に出てくる浅野家でして、赤穂の前の領地が笠間なのですよ( ´ ▽ ` )ノ
大石内蔵助の屋敷跡(笠間日動美術館近く)も石碑が建ってますしね。