どうもおはようございます、りんですm(_ _)m
あまりにも天気の良い日でしたので、影が映り見辛い写真が数枚ありますのでご容赦を(;^_^A
栃木県那須郡那珂川町馬頭2576
静神社(しずじんじゃ)
往古より片根(武茂川南側)に武茂城主・武茂氏の守護神として崇敬されていまして、当時は八幡宮であったとされる
この地は永禄9年(1566)に武茂氏が佐竹氏配下となり、支配者が変わるも八幡宮は崇敬されていたが、関ヶ原の戦いで西軍に属した佐竹氏は慶長7年(1602)出羽久保田(秋田県)へと国替えとなる。
その後、水戸徳川領となる。
元禄7年(1694)、徳川光圀による寺社改革により社名を「静神社」へと改称
片根より北側、愛宕山の愛宕神社境内中腹(現在地の東側)へと遷座し手力男命を合祀
宝永2年(1705)4月、神殿・神楽殿を造営
文政9年(1826)2月、焼失
天保9年(1838)4月、再建
明治33年(1900)2月、本町字舘山(武茂城跡)に遷座
この際、関係石碑・石灯籠・階段石など全て移動
平成5年(1993)4月、須佐之男命を合祀
御祭神は誉田別命・手力男命・須佐之男命
よく神社前にある美術館に行ってまして、神社も参拝してたが御朱印をいただきに行ったのは今回が初めてでありました( ´ ▽ ` )ノ
さて、徳川光圀の寺社改革では水戸領内の八幡宮はほとんど、祭神・社名変更を喰らいまして…
これをいわゆる「八幡潰し」というのですが
こちらも例外ではなく、常陸国二宮・静神社より社名と手力男命を持ってこられ、八幡宮という名前が消える事となりました。
ですが、主祭神は元の誉田別命のままですので水戸領内の八幡と名乗っていた他の神社よりは、かなり緩い改革だったと思われます。
それというのも、主祭神から境内社への格下げや、他所からの他祭神の勧請により主祭神と配祀の逆転現象などが多く行われましたので、こちらはかなり優遇されていたのではないかなと…
これに関しては、この地・武茂郷が水戸領の最西端に位置していたので、ある程度の領民鎮撫の為だったのかもしれない
また、武茂郷に隣接する地が黒羽藩・大関氏、大田原藩・大田原氏、烏山藩・那須氏と外様大名の領地だった事も鎮撫要因の1つなのでは?
まぁ、この辺りに関しては推測なので全く違う可能性もありますので悪しからずσ(^_^;)
御朱印
以前、ある方からこちらの宮司さんは遠い所に住んでいると聞いた事があったのですが…
電話をかけてみたら、歩って行ける所にお住まいになっているそうです。
私に教えた人は、どこから聞いて来たのやら(;^_^A















