どうもおはようございます、りんですm(_ _)m
福島県耶麻郡猪苗代町見禰山3
土津神社(はにつじんじゃ)
由緒は、保科正之が吉川惟足より卜部家神道を学び奥義を極め、寛文11年(1671)に惟足より「土津」の霊号を奉られる。
この際、正之は「余の没後は神道の礼をもって磐椅神社の神地に葬ってもらいたい」という遺書を家臣に与え、子・保科正経に伝えさせる。
寛文12年(1672)8月21日、正之は見禰山に登り墓地を定める。
寛文12年12月18日、逝去し見禰山に埋葬
延宝元年(1673)、神祇官領長・吉田兼連が御神体を奉じ仮殿に安置し、社殿建築開始
延宝3年(1675)8月19日竣工、同23日正遷宮の式を行い磐椅神社の末社とした。
慶応4年(1868)、戊辰戦争の兵火により焼失
明治2年(1869)、斗南藩立藩により御神体も下北半島に移される
明治4年(1871)、廃藩置県により斗南藩廃藩となり御神体は磐椅神社に祀られる。
明治7年(1874)より社殿建築開始、明治13年(1880)に完成し御神体も移される。
御祭神は保科正之公
こちら、東照宮と比較されるほど豪華絢爛であったとされ、日光東照宮に対して裏東照宮とも呼ばれたそうですが…
戊辰戦争時の母成峠の戦いに負けた際、猪苗代城代・高橋権太夫により猪苗代城と共に火を付け、会津若松城に撤退したそうです。
残念だ…(;´Д`A
御朱印
御朱印は拝殿手前階段下左手、社務所にていただけます。かなり暑い日で、神社から奥の院まで汗をダラダラ流しながらえっちらおっちら歩いてのぼったのだが…
奥の院の脇に駐車場があり、見つけた途端えーって思ってしまいましたσ(^_^;)
でも、運動になったからいいかなと…
汗を流しつつ奥の院から戻り、社務所で御朱印を待つ間ホントにいい風が吹いてきまして、こういう風が「高原の風」なのかなと思いつつ待ってました(笑)