どうもおはようございます、りんですm(_ _)m


群馬県館林市堀工町1570
曹洞宗
青龍山 茂林寺(もりんじ)
{B2BC2C10-F325-4CC6-9864-1A16099116F1:01}寺号標

{BF4E0B6A-828E-4745-AADF-5BC9DB41F0BC:01}総門

{D0F7FF47-642D-4F7E-9A38-7A5FDD287B96:01}参道

{5CF08D84-53F3-45B6-A661-A4C446E15003:01}山門

{0355FDB5-0CB8-471E-9506-F491B540846A:01}聖観音像

{A910D04A-E9F0-4A75-B3EE-D2D3EF024DA5:01}
守鶴堂

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本堂


創建は寺伝によると、大林正通禅師が諸国行脚の折、上野国伊香保で守鶴と出会う


応永33年(1426)、正通は守鶴を伴い館林に来往し小庵を結ぶ


応仁2年(1468)、青柳城主・赤井正光が自領より8万坪を寄進し堂宇を建立し「青龍山茂林寺」と号する


大永2年(1522)、後柏原天皇より勅願寺の論旨を賜る


寛永19年(1642)、徳川家光より23石4斗余の朱印地を下賜される。


こちらは茂林寺という名前は聞いた事は無くとも、「分福茶釜」は聞いた事はあるだろうとおもいます。


元亀元年(1570)7月、茂林寺7世月舟和尚の代に千人法会があり、茶の用にする湯釜がなくて寺では困っていた際、守鶴が一つの茶釜を持って来る。


その茶釜を茶室に備えた所、不思議と幾ら湯を汲んでも湯は尽かなかった…


これを見て衆人は驚かないものは無く、守鶴は茶釜を自ら「紫金銅分福茶釜」と称する。


この後、守鶴は10世天南和尚の代まで開山時から数えると161年間も茂林寺に居ましたが、天正15年(1587)2月28日に忽然と姿を消し行方知れずとなる。


後世、守鶴は狸の化身だと伝えるものがあり…これがお伽話として知られている「分福茶釜」となっていくのです。


実は、この「紫金銅分福茶釜」は現存しまして本堂内に安置されています。
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写真撮影禁止なので、パンフレットの写真を引用します。


こちら、境内には焼物の狸だらけ…本堂内も狸だらけ


そんな訳で、狸のイメージしか残りませんが…総門が応仁2年(1468)・山門が元禄7年(1694)・本堂が応仁2年の建築で享保12年(1727)改築と、古い建築物もあるので見どころも多いのではないかと( ´ ▽ ` )ノ


御朱印
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御朱印は本堂右手、拝観受付にていただけます。


茶釜の印がいいですね~♪


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ここで注意ですが、上記の張り紙が庫裡にありましたので…


木曜日が不定休となっているようでして、拝観・御朱印もやらないみたい


そんな訳で、木曜日は避けた方がいいかも…



余談ですが、墨や朱肉が他のページに移らないようにと挟んであった紙がタウンページの切れ端でありまして


私の地元では全く見た事がないっていうか…読めない苗字がσ(^_^;)


苗字ってのはその土地にしか無いのもありますから、それを調べるのも面白いかなと思ってしまった(笑)


実は、神社に参拝し御朱印をいただく際に社務所ではなく宮司さん宅に行く場合もありまして…


たまに、読めない苗字や珍しい苗字の宮司さんもいまして、最近ちょっと苗字に興味が出始めて来たんですよね~