どうもおはようございます、りんですm(_ _)m


群馬県館林市楠町3692
東上州三十三観音 五番札所
浄土宗
終南山 見松院 善導寺(ぜんどうじ)
{4637D7AF-D768-4991-A94B-CBAE88C3A71C:01}
寺号標

{4AFF0D32-68D6-481E-B0B2-7AE0BF10FF97:01}
山門

{0EB23F19-44A0-49E4-8870-AE4F1C2ADEFA:01}
鐘楼

{38328441-59E4-40B4-AB60-3194130CF1A2:01}
手水舎

{41352C8C-D63E-4197-9F7D-7F72FF314D22:01}
本堂

{344CC0A9-E230-4DFA-AFE5-47C380D49C3B:01}
不動堂

{E0255A9D-7F14-4030-88DB-166C7D41233B:01}

{2BA16E21-5F8A-449F-BFAC-394EA56927CB:01}
榊原康政公 墓

{D74BA3CF-2FC4-440C-A30D-4D535A726BB8:01}
薬師堂

{42CC205D-EC69-4E0A-B35D-B4F59F0BE84D:01}
弁天堂


創建は和銅元年(708)、行基菩薩が東国遊化の折に土橋村・加法師村の境の林中に一庵を結んだのが始まりとされる。


建久4年(1193)、頓阿見性法師が行基菩薩の旧跡を偲び草庵を修築


建治2年(1276)、浄土宗鎮西派白旗流の祖である寂恵良暁上人により再興され、「終南山見性院善導寺」と称し浄土宗に属するようになった。


天正18年(1590)、榊原康政により谷越に移し七堂伽藍を整え、榊原家の香華寺とし100石を付与
また、幡随意上人を中興第1世と定める


元和元年(1615)、関東十八檀林の一つとなり、これを機に院号を「見性院」から「見松院」へと改める


正保元年(1644)、徳川家光により供田100石と諸役免除の御朱印を賜る。


明治2年(1869)2月23日、明治天皇より勅願所の綸旨を下賜される。


昭和59年(1984)館林市の都市計画にともない現在地へ移転し、平成2年(1990)に完成


こちら、前述の通り移転した関係でちょっと新しめですが…檀林寺であった歴史もありまして雰囲気も結構いいかも(*´艸`)


あとは…御朱印が目当て(笑)


御朱印
{E7E07263-80BE-4D88-AF2D-268D1C6A62C3:01}

{CE567450-725F-43AE-BFE4-23CEC5836393:01}

{53D50413-DB35-40A9-9FFD-C63F7125C2BD:01}

御朱印は本堂右手、庫裡にていただけます。


書き置きプリントタイプになりますが、3枚目のはなかなかいいですよ(*´艸`)