どうもおはようございます、りんですm(_ _)m
茨城県小美玉市竹原字町後
椿山稲荷神社(つばきやまいなりじんじゃ)
創建は永禄2年(1559)2月8日、竹原城主・竹原四郎義国が、城の鬼門にあたる椿山に城地守護の氏神として祀ったのが始まりとされる。
また、義国が戦で危機に瀕した時に神霊が白狐に姿を変え主君を護ったとも云われている。
当地の風習かどうかはわかりませんが、病気に罹った人々は蕎麦を断ち、椿の木を奉納し境内に植えると病気が治るとか…
また、境内の椿の葉や実を摘むと神罰が下るとも云われているそうです。
御祭神は倉稲魂命
境内には道鏡を祀る祠もありまして
この由来は、道鏡が下野国薬師寺に左遷された事を知った竹原の人々は、以前都での訴訟の際に道鏡の計らいでうまくいった事もあり、恩返しとしてお呼びし住んでもらう事にしたそうな…
以来、道鏡様と慕われ安産や商売繁盛の神様として参拝が絶えなかったと
あと、神社裏手の窪地は「小便沢(いばさわ)」と呼ばれ、道鏡の小便(いばり)が流れた跡だと云われているそうな…
すごく出したのね、道鏡さんσ(^_^;)
現在地には、昭和47年(1972)に竹原小学校北側より遷座
あと、道鏡とセットなこの方の御宮も昨日の記事にした竹原神社に合併されましたが、また宮は近くにありまして…
茨城県小美玉市竹原字法皇下1443
こちらの由緒は、創建年はわからないものの、竹原に移り住んだ道鏡が寵愛を受けた孝謙天皇を偲び建てたと伝わっています。
また、社殿の他に御陵も築いて毎日礼拝したとも云われているそうです。
こちらは私は行って無いのですが、竹原字天神に「岩窟権現」があるそうでして、これが御陵らしく…
昔は大きい塚だったらしいのですが、現在は1坪ぐらいの塚になっているそうです。
この塚に、道鏡が孝謙天皇から拝領した鏡と玉と剣の模造品を石棺に納めたと伝わり、ここに道鏡が日参したそうです。
あと興味深いのですが、道鏡法王祠と孝謙天皇宮は向かいあうようになっているのですよ( ´ ▽ ` )ノ
これに関しては、現在はそうなってはいますが…法王祠の遷座前はどうなのかはちょっとわかりませんでしたσ(^_^;)
この孝謙天皇・道鏡に関しては、ブログにて交流がある方が調べていてそちらを読んでいる内に私も気になり、たまたま行った小美玉市内の神社由緒を調べたら見つけまして、小美玉市に用事があった際に竹原神社・椿山稲荷神社・孝謙天皇宮を1度に参拝してきました( ´ ▽ ` )ノ
由緒に出てくる岩窟権現は行ってませんが、とりあえず調べたところまでは調査報告として(笑)
この辺りの神社は、由緒を調べてくと面白いのが多くて…
耳の神様とか、河童を祀るとか、成長する石とか
面白いのだが、記述が断片的なのが多く色々な資料を見ながら突き合わせて調べるのが大変でσ(^_^;)
すでに記事にしたのもありますが、新たに分かった事は追記する様にしようかなって思ってます…なかなか難航してますが(笑)