どうもおはようございます、りんですm(_ _)m


福島県南会津郡下郷町大内字大谷地154
高倉神社(たかくらじんじゃ)
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一の鳥居

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社号標

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二の鳥居 社号標

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手水場(水路です)

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三の鳥居

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拝殿

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本殿

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境内社

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境内社 お不動様

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高倉の大杉


創建は不詳っていうか、ネットでいろいろ調べたんですが…肝心の創建年代がわからないσ(^_^;)


由緒としては、治承3年(1179)に平清盛が後白河法皇を幽閉した事(治承3年の政変)に端を発する


治承4年(1180)4月、平氏討伐を決意した以仁王(高倉宮)が源頼政の勧めで平氏追討の令旨を源氏へと出し蜂起を促すが…


準備が整わないうちに計画が平氏へと露見し、5月15日に平氏からの圧力により院宣が出され、以仁王は皇籍を剥奪され土佐国へと配流が決定


それを察知した以仁王は脱出し、近江園城寺に逃げ込むが、いまいち協力が得られないので南都の仏教勢力へと頼る事となる


しかし、治承4年5月26日に興福寺へと向かう途上に平氏方に追い付かれ討たれた


が……


東国で以仁王の生存説が囁かれ、王の令旨を持った木曾義仲・源頼朝が挙兵し、源平合戦へと向かっていくのだ


で、肝心の以仁王だが…


平氏方の追っ手から逃れ、ここまで来た以仁王はしばらく当地にとどまり、越後へと逃れて行ったそうな


現在地は大内と呼ばれているが、当時は山本といいまして、以仁王が「高峰の風吹き戻す山本にこころとどめし道しるべして」とうたい、この里が宮中の大内(だいり)に似ているから大内と名付けたそうです。


御祭神は高倉宮以仁王


御朱印
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御朱印は大内宿に入ってすぐ、南仙院分家が社務所になっておりますので、そちらでいただけます。


こちらの神社、皇族を祀っているので社号標は十六八重菊紋なんですよ…見逃しがちですが( ´ ▽ ` )ノ



また、社殿裏手には以仁王が当地に留まった際に住んだといわれている王三段があります。
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行こうかなって思ったのですが、私が行った日には雪がまだ残っていたので…断念(;´Д`A


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大内宿風景