どうもおはようございます、りんですm(_ _)m


茨城県筑西市倉持928
式外社(三代実録) 郷造神
雲井宮郷造神社(くもいのみやくにのみやつこじんじゃ)
{F065533C-D665-47EE-BFFE-231FF449BE2B:01}鳥居

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社号標

{A4AABF63-45A7-45D5-981E-639459C7D384:01}参道

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随神門

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手水場

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拝殿

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扁額

{EC495523-5744-485A-A1DC-013171849178:01}本殿
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天神社


創建は景行天皇41年(111)、国造毗那良珠命が武甕槌・大国主・事代主の三神を奉祀し当地の経営に当たる。


その後、子孫の車持命が祖神を配祀する。


大同年間(806-810)、藤原宗成により社殿造営


仁和2年(886)6月28日に「授常陸国正六位上郷造神従五位上」と三代実録に記されている。


建久4年(1193)、八田知家により社殿・玉垣・神門の造営


永正元年(1504)、小田成治により再建


慶安元年(1648)10月24日、朱印地31石を賜る


江戸期には真壁・筑波・新治3郡、20ヶ村に及ぶ氏子がいたが、明治6年(1873)に倉持・成井のみとなる。


御祭神は武甕槌命、配祀として左に大国主命・建御名方命、右に事代主命・毗那良珠命


鎮座地の倉持は車持命からきているようです。


なお、「雲井宮」号は藤原宗成が伊予親王の変に絡み常陸国に配流された時に水守(現在のつくば市水守)にいたそうで、日毎当社に詣でて恩赦を祈り、赦されて都に帰る時に報恩の為におくったとされています。


この「雲井」は現在地の南方に湧水があったそうで、これが雲井だったのではないかと…推測される。


なお、この湧水だが昭和初期に枯れてしまったのだそうだ(;´Д`A


こちらですごく気になるのは扁額なんですよね…蝦夷と鹿嶋を同列に書いているのが不思議?


鹿嶋は御祭神に武甕槌命があるから間違いは無いが


蝦夷は今の北海道の事ではなく、「えみし」つまり朝廷側から見た蛮族的な言い方なんですがね…


これを扁額に書くってことは、蝦夷征伐に関係があったのだろうか?


いろいろ調べてみたいところではあるが、なにぶん趣味の延長での調べ物だからいろいろ抜けがあるだろうし、本気で調べようとするならば古文書を読めるようにならんとねぇσ(^_^;)


また、約300mの参道はほぼ桜並木になっておりまして…春はかなり綺麗だろうと思われます。


実は私、こちらに参拝したのが3月末でして、行ってからもう少し後に来れば良かったとちょっと後悔(;´Д`A



平成30年2月25日追記

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授与所にていただきました。