どうもおはようございます、りんですm(_ _)m


この日、午後が休みだったので以前参拝したが宮司さんが不在だった神社へ…


茨城県東茨城郡城里町上圷199
手子后神社(てごさきじんじゃ)
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鳥居 社号標

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参道

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拝殿

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本殿


創建は大同2(807)年、坂上田村麻呂の東征の際に戦勝祈願をしたとの事…


元は「手子木崎」の社名でしたが、元禄9(1696)年に徳川光圀の命により現在の社名である「手子后」となる。


祭神は埴安姫命


場所は国道123号を水戸から来て、石塚の手這坂を下り2個目の信号を右折して少し走ると左手に南面して鎮座しています。


また、那珂方面からだと県道61号を静神社の前を通り、那珂川(千代橋)を渡ってすぐの交差点を右折してしばらくすると右手にあります。


国道123号からですが、現在バイパス工事中で手這坂を通らないルートで工事しているので、完成したら行き方が若干変わるかもしれません…その点はご容赦をm(_ _)m


この神社は面白い話があります。


土の神でもある埴安姫命を祀っている関係上、土を焼き瓦として使う事は土の命を断つ事に繋がり、神の怒りを買うと言われていて、この地区では土瓦は使わないそうです。
セメント瓦は構わないらしい…


で、以前神社を土瓦で葺いたそうですが一晩にして瓦が全部落ちてしまったそうです。


あとは、松の木も植えてはいけないそうで…神社に生えていた松の木の葉っぱで埴安姫命が目を突いてしまい怪我をしてしまったからだとか…


そういう謂れがあるので、圷地区では家の敷地内には松は植えない様になったそうです。


神社の南側に下圷館という戦国以前の館跡がありまして、ここには佐竹氏の家臣である石塚氏の居城跡で、戦国期は石塚氏の家臣である桐原氏が住んでいたそうなのですが…


ある方のサイトを見てたら、館跡の北側は八幡平と呼んでいたと


あれ?


元禄9年に徳川光圀により社名変更、神社のあたりは八幡平…


もしかしたら、八幡潰しに絡んで社名の文字変更も行なわれたのだろうかと勘繰ってしまうのだが?


これに関しては、私が無理矢理こじつけたんで荒唐無稽に感じるかもしれないが、突っ込みは入れないでもらえるとありがたいですm(_ _)m
専門家ではないのでねσ(^_^;)


御朱印
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御朱印は神社横の宮司さん宅にていただけますが、聞くところによると幾つも兼務でやっているらしく不在もあるとの事なので連絡を入れてからの方が確実かと