【斎王まつり さいくう歴史博物館より】

 

こんにちは~

HAPPYリマです。ヽ(´∀`)ノ

天皇制の歴史と問題点1 始めに
の続きです。

 

・もう少し詳しい天皇制の歴史

(日本史を学んだ人は思い出しながら読んでくださいね。)

 

古代では、卑弥呼の例もあるように、大和朝廷(ヤマト王権)などでは、皇后や皇女が神がかりとなって、お告げをおろしていました。それによって政治が行われていました。

 

その後、直接神託を受ける斎宮(さいくう)と、祭祀と政治を行う大王(おおきみ)とに分離していきました。

 

やがて中国の律令制度の影響を受けて、儒教や仏教を取り入れ、国家として天皇という称号が定着していきました。

このころに「日本」という国号も生まれ、聖徳太子の言葉にあるように「日出ずる国」や
「ひのもと」と呼んだようです。

 

平安時代は、朝廷に太政官という役所があり、首長や貴族が権力を持ち、天皇の力を制限していたため、朝廷はドロドロした権力争いの場でした。

 

やがて、武家が力を持つようになり、天皇と武家が権力争いをするようになりました。
平将門の乱、藤原純友の乱などが代表的な出来事です。

 

12世紀になると鎌倉幕府が成立し、京都の朝廷と東国の鎌倉幕府が対立するようになりました。

日本という国家の頂点に天皇がいて、「将軍の任命権」を持っていました。
この頃から、天皇は「権力」より「権威」をもつようになったのです。

 

権力とは人を従わせる力、権威とは人が進んで従いたくなる力のことです。よって、権威は権力を裏付ける力になりえます。

 

やがて、大覚寺統と持明院統に天皇家が分裂し、さらに、「北朝」「南朝」に分裂しました。

 

足利尊氏が登場して、室町幕府が成立後、天皇は実権をほとんど失ってしまいました。
その後、織田信長、豊臣秀吉も登場しますが、彼らも天皇を利用して権力を拡大しました。

 

江戸時代には、天皇の権力はほとんどありませんでした。

江戸幕府の権力が揺らぎ始めたころ、再び、天皇の存在感が注目されるようになりました。

 

そのきっかけは、水戸藩第二代目藩主であった徳川光圀による『大日本史』編纂事業です。そこから、水戸学、国学が生まれ、幕末の尊王攘夷運動につながっていきました。

 

国学の流れから、既存の神道の体制が批判されるようになります。

なぜなら、純粋な日本の古来からの思想を研究した国学者たちにとって、権力にまみれ仏教などの外来思想の影響を受けた神道は「純粋ではない」と考えられたからです。

 

しかし、結局は幕府が倒され天皇を担いだ明治政府が樹立されたため、天皇が権力を持つ天皇制が復活し、また宗教的な支配もなされるようになりました。

 

リマ:こうして古代から江戸時代までの天皇制の歴史を簡単に見てきましたが、天皇には神のような力はないようです。また、とびきり慈愛が深く霊性が高いこともないようです。

 

天皇制の歴史と問題点3 明治政府と教育勅語
につづきます。

 

おまけ動画:日本史がわかりやすくまとめられています。

 

【刀剣ワールド】日本史年表1縄文・弥生・古墳・飛鳥・奈良|YouTube動画

 

【刀剣ワールド】日本史年表2平安・鎌倉・南北朝・室町|YouTube動画

 

【刀剣ワールド】日本史年表3安土桃山・江戸・明治・大正|YouTube動画

 

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