年末はコロナ療養だったり年始は来客があったりとバタバタ忙しく、ホッとひと息ついてたらあっという間に1月も半ばになってしまいました💦


遅れましたが、今年もよろしくお願いしますおねがい


今日は、なんかいろいろあって、疲れてるけど眠れなさそうだから、久しぶりにブログでも書こうと思います。。


今まで、母親との確執(母親は全くそう思ってないかもしれないけれど)の数々を書いてきましたが(どこまで書いたか覚えてないけど…)、今日はついに「もう無理だな」と思いました。

 

相変わらず父親のいないところで父を意地汚いとか悪く言う母(孫たちの前で平気に)、孫に対して直接「何もやってやりたくなくなる」と溜め息まじりに言う母、(私を)「何回も呼んだのにこない!」とキレる母、眠いからとあからさまに疲れた様子で不機嫌な母、別れ際に深いため息をつく母…


でも…仕方ないんだと思う。

老後の貯蓄のためだったり、孫に何か買ってやるためだったりと毎日気持ちを奮い立たせながら仕事を頑張って疲れて帰ってきて…その上孫の相手や世話も毎日やってたら…

愚痴の一つでも言いたくなるのだろう。


それを知っているからこそ、平日は母が少しでも楽になるならと、毎晩実家に夕飯を作りに行っていたけれど。。


それが自分には正直負担ではあった。


我が家は諸事情があって長男が実家に住んでいることもあり、毎日夕飯を作りがてら実家へ行くようにしていたけれど、もっと違う方法にシフトする時がきたのかも。


上記にあげた母の態度全てに反応しているのは紛れもなく自分であり、スルーできない感情になってしまう原因は自分の中にあるのだとは頭では考えつつも、これからはもっと自分の気持ちに正直に生きたいんだな…と思い始めました。


まずはやりたくないならやらない!と、今までやっていたことをやめる勇気。。


散々お世話になってるのにとか、迷惑かけてるからとか、行動のきっかけが他者ではなく、自分が心から望んだ行動でないと、自分もだんだんしんどくなるしなんやかんや強制ストップがかかる。苦笑


自らやりたくて心から望んで行動したことでなければ、どこかで歯車が狂ってしまう、ボタンのかけ違えが起きてしまうんだなと、ようやく気づきました。


もしかしたら、今回の反応から行動までの流れが、今までと同じパターンであり「そっちじゃないよ!違う違う!逆だよ!」って感じもあり得るけれど、今はとりあえずいくら高齢の親であろうと、いつ不機嫌モード愚痴モードになるか分からない人とは距離を置きたいな…という気持ちが非常に強いです。。


今までは、子どもたちがおばあちゃん大好きだから、実家が近いからと、なるべく毎日会えるようにしていました。


それが私の役目だと、果たす義務だとまで思ってました魂が抜ける


私自身も、母1人と子2人の生活(長男は実家なのでそちらは別で対応)よりも、大人が多いほうが子どものあちゃーなやらかしも複数の大人の笑いに変わり、子どもにとって良い環境だろうと思っていたけれど…


でもそれが、子どもにとっては短期的に見たらいいのかもしれないけれど、長期的に見たら母にとっても私にとっても、しんどかったのかもしれない。


いったん落ち着こう。


まだまだ今の私では、実母の言葉一つ一つに反応してしまうし、その度に心を掻きむしられてしまう。


物理的に住む場所を離してはいるが、毎日会うので、エネルギーの消耗が激しい。


復活する時間が少な過ぎるネガティブ


あの時、我が子にひどい言葉を吐き捨てられているのに(まぁ息子はなんとも思ってないだろうが、私は悲しい気持ちになった)、自分が言われているかのようにビクッと固まってしまい(その時は幼少期にフラッシュバックしてしまう)、大切な我が子を庇う言葉の一つもその場で出せなかった。


でもこの前は、私に対して母から言われた「やっといてよ」っていう何気なく発せられた言葉に対して、私は日々の積み重ねでひどく憤りを感じたので、「私も忘れちゃう時あるから、お母さんがやれるならやってほしい」とその場で冷静に伝えられたことは、私にとって非常に大きな進歩だった。


ようやく、自分の気持ちをそのまま伝えられるようになった。


まぁ、少しずつだなー。


少しずつではあるけれど、着実に課題の分離はできてきている。


私は、今まで自分の心を守るためにと身につけた、何も言わずにその場をやり過ごす術が咄嗟に出てしまう時がまだ多々あるし、相手に自分の気持ちを言えずに溜め込む癖が染み付いてしまっているから、自分の気持ちを我慢せずに、自分の身体からその場で出すって練習の真っ最中だ。


もっと、自分の気持ちに正直に生きていいんだよ、と自分に言い聞かせてみる。


育ててもらったんだから、親が生きているうちに少しぐらい大変でも恩返しなければ…とか、家族は助け合いだから私も助けられる余裕が少しでもあるなら助ける側にならないと、とか思っても、結果無理してしんどくなってしまうなら、一度そのしんどい感情を吐き出して落ち着いて、勇気を出して行動を変えてみよう。


周りを頼るというのも、今まではき違えていたように思う。


今までの私は、なんとなく頼られる側が上で、頼る側が下になる感じを持ち合わせていたし、相手に媚びなきゃいけないような気もしていたし、自立しようとせず甘えて寄っかかっていたのかもしれない。


親子という関係からくる甘えから。


「助けてくれよー」って思いながらも、どこか言いづらくて子どものように指くわえて待ってて、満足いかない現状に拗ね散らかして現実をこじらせていたのかもしれない。


だから、今まで“頼ろう”"頼るぞ!“と口では言ったり思ったりしても、どこか自分の中でしっくりこなかったから抵抗があったのかもな。


これからは、感情的に自立した上で頼るようにしたいなと思います。


感覚的なものなので、感情的に自立という言葉が合ってるのかは分からないけれど…まぁいいか。


今の私の課題は「ザ・心の自立」


まだまだ学びの途中であります。