私は幼少期、常に親に監視されていると感じていました。
部屋にいても数分おきに見にくる。
ちゃんと勉強しているか。
ちゃんと寝たか。
私は信用されていないんだなと受け取り、私は信用できない人間なんだと思い込み、自分への信頼もなくなっていきました。
自宅に私が安心できる居場所はないように感じていました。
家族で囲む食卓の時間は、いかに母親が機嫌を損ねないように振る舞うかに集中し、ピリピリ(多分家族で私だけ)していました。
今となっては、親はコミニュケーションが苦手だったんだなと理解し、私への監視は大きすぎる愛だったのだと受け入れることができましたが、そう思えるようになるまで、かなり時間がかかり、苦しみを伴いました。
カウンセラー養成講座で心理のことを学び、少しずつ自己理解が深まると同時に、講師に何を指摘されるのか、ダメ出しされるのかに怯える日々が続きました。
自分の中での監視役が、母親から講師に変わっただけで、監視役は脳内からいなくなりませんでした。
先日、中学3年になって少しずつ動き始めた不登校でASDの長男が、フリースクールを見学に行きました。
そこで、先生が箱庭療法を行ってくださいました。
長男が広い砂場に置いたのは、ど真ん中に小さな戦車。
「そこにあなたはいますか?」の問いかけに、「いない」と。
そこで長男くんを置きましょうとなり、隅に戦車のほうを向くウルトラマンの小さな人形を置きました。
長男は、「戦車を見てる」と言った。
先生は、「それはお母さんですね。お母さんに監視されていると感じますか?」と長男に聞いた。
そしたら長男は頷いた。
私は衝撃だった。
私がされて嫌だった子育てを、子どもにしていた。
カウンセラーの勉強をして、投影の仕組みは分かっていたけれど、監視しているつもりではなく、長男の成長のために必死だった、長男への大きな愛のつもりだったのに…と衝撃を受けた。
ただ、先生は私に、「お母さん、監視されていると感じているんですって」とだけにこやかに仰って、「戦車ということは、これから動き出すんですね?あぁ良かった!乳母車だったらどうしようかと思った」と言われたので、私もホッとした。
その日から、自分の長男への意識の向け方を改めようと心に誓いました。
私は、長男が不登校児で、学校の先生と会う時には長男の様子を情報提供するのが私しかいないので、いかに長男を理解していて、少しの変化も伝えられるか(例えば起床時間もバラバラなので、最近はどんなリズムかを聞かれたら答えられるように、今やっているゲームなど)にかかっていると、常に肩に力が入った状態(無意識)で、ちゃんとしなきゃを発動していたんだと思い知らされました。
その日以来、私はできる限り長男にではなく、自分に意識を向けようと思いました。
日中家にいてもなるべく別室で過ごす(そうしたら避けてるみたいで悪いかなという気持ちもあった)とか、外出して離れる時間をもっと増やそうかな(それも私だけじゃ悪いかな、があった)と思っています。
私の中の監督さんは、母でもなく講師でもなく、紛れもなく私自身でした。
もっとしっかりした人間にならなければ、もっとちゃんとした母親でいなければ、もっと完璧にやらなければ、もっと頑張りなさいと言い続ける厳しめの監督さん。
急には無理かもしれないけれど、少しずつ監督さんには休んでもらう時間を増やそうと思います。
そして、また厳しめに昭和の古い指導をしてきたら、「今現状こうなんで!今令和なんで!時代は変化してるんで!私はこうやっていきます!」とハッキリ言える自分であろうと思います![]()