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「前頭側頭葉変性症の夫と私」ひまわり日記

マリーンズ、野球大好き。MLBをはじめ、スポーツ全部好きです!夫の難病(前頭側頭葉変性症)に悩み苦しみつつ、息子の心配事にヤキモキしておりましたが、夫は2024年1月に永眠し、息子は2025年に入って結婚。私の人生これから楽しむよ!

先生から会わせたい人には連絡をしてくださいと言われていたので、夫の実の弟に電話や、ショートメールを入れました。なかなか連絡がつかなかったのですが、ようやく電話をくれて、「夜9時ごろになってしまうが、面会に来れる」とのことでした。

 

夫と弟が会うのは、実に10年ぶりくらいです。仕事や家族のことで忙しく、コロナ禍もあって、たまに電話で話すことがあっても、疎遠になっていました。

 

夕方、少し危ない状態になって、電話で弟の声を聴かせてあげました。

「もうすぐ行くからね、がんばれ!」

夫は目を開いて、しっかり聴いていました。それでまた少しまた持ち直した気がします。

 

私は今日、あわてて家を飛び出してきたので、今日泊まりになるとは思ってもみず、なんの用意もしていませんでした。スマホの充電も残り少なくなりました。

 

すると、普段そんなに気の利かない息子ですが、コンビニでスマホの充電コンセントとコード、夕食用のおにぎり、飲み物、お菓子などを買ってきてくれました。

 

6時過ぎに、母と兄が帰宅し、息子と私が残りました。

 

夫は少し落ち着いて、息をしていました。時々目を開けたり閉じたり。私は、髪や額をなでたり、手をさすったりして、「がんばって」と声をかけていました。

 

そして、弟君が来てくれました。

「兄貴、〇〇だよ。がんばれ!大丈夫だよ!また元気になるよ!」と声をかけてくれました。

夫は、声は出せないのですが、しっかり弟を見つめていました。

弟君は1時間くらいそばにいてくれました。

 

途中当直の先生も来て診てくれました。夫は口を動かして何かを言おうとしているのですが、声にならないので何を言っているのかわかりません。

 

たぶん、口の動きから、一人一人に「ありがとうございました」と言っている気がしました。

 

弟君が夜10時過ぎに帰ったあと、しばらくして息子も帰宅しました。

 

看護師さんが、簡易ベッドを部屋に用意してくれました。夫と夜を一緒に過ごすのは、コロナ禍に入る直前、2020年の1月に一時帰宅したとき以来です。実に4年ぶりでした。

 

ゆっくり二人きりで過ごせる貴重な夜となりました。若い頃の思い出話や、感謝のことば、楽しかったこと、大変だったこと、いろんなことを語りかけました。夫の反応はあまりなかったけど、時々私を見てくれました。

 

私は髪やおでこをさすり、手をさすってあげたりしました。もう夫には握り返す力はありませんでした。

 

時々簡易ベッドに横になり少しうとうとしては、心配になり、ベッドの横の椅子に座って語りかけたりして、一晩中すごしました。

 

看護師さんが時々来て、血糖値を測りました。もう刺せる血管がなく苦戦していました。血糖値が下がり、ブドウ糖を補給したり、酸素マスクの精製水を補充したりしてくれました。脈や心拍はモニターで監視しているとのことでした。

 

病院に着くと、昨日の4人部屋にはもういなく、個室に移されていました。口と鼻を覆う酸素マスクをつけて、シューシューと激しい音がしていました。ベッドサイドには心電図や心拍数、呼吸などがわかるモニターがついていました。大きく顎を動かして息をしていました。

しばらくすると、息子も駆けつけて、兄と私と3人で、別室で先生が病状の説明をしてくれました。

 

いったん肺炎の治療は完了したものの、今朝から酸素化不良があり、新たな肺炎が起こっているとのこと。抗菌薬治療を再開するが、肝臓に負担がかかること。貧血、低栄養があり、生命維持が困難になり、脈拍や呼吸が弱り止まってしまうことがあると言われました。

 

今は、酸素を最大量送っており、昇圧剤で血圧を押し上げて生命を維持している状態と。

 

予断を許さない状況なので、面会は24時間可能として、夜間も一人まで同室で泊まることができるとのこと。

 

夫の部屋に戻り、「がんばれ!酸素吸って!」と何度も声をかけました。夕方、私の89歳の母も自転車でかけつけてくれて、かわるがわる夫に声をかけ励ましました。

 

夫は口を開けたり閉めたり激しく呼吸しているので、酸素マスクがずれていきます。それを直してあげたり、時々流れる涙を拭いてあげたりしました。

 

そして時々目を閉じて、薄目を開けたような状態になるので、「起きて!目を開けて!」と叫んでいました。

 

前日、先生に病状の説明をいただき、夫の肺炎はいったん落ち着き、栄養状態を改善する方向であることに、私は希望を持っていました。

 

午後からは夫の面会に行くので、朝一番に私の持病の緑内障の目薬をもらいにかかりつけの眼科に行ってきました。すると、そこの眼科医院の院長先生は、高齢のため2月末で閉院されるとのこと。予想していたことといえ、優しく穏やかな先生の人柄にいつも癒されていた私は寂しい気持ちでいっぱいでした。

「ゆっくり進むタイプの緑内障なので、ちゃんと目薬をつけていれば、たとえ100歳まで生きても失明することはないよ」

と言ってくれて、次にかかる眼科医院への紹介状を書いてくれるとのことでした。

 

そんな感慨にふけりながら、午前10時頃に帰宅するとすぐに夫の病院の看護師さんから電話がかかってきました。

 

「酸素の状態が悪く、血圧も低いので、今すぐ病院に来てください」

 

気が動転してどういうことかすぐには理解できませんでした。

 

私「それはもう危ないということですか?」

病院「かなり状態はよくないです。どのくらいで来れますか?」

私「30分くらいで行けます」

 

テレワークしている息子に電話し、タクシーですぐ病院に向かうように伝えました。そして、私は兄と一緒にタクシーを拾って病院に向かいました。