「前頭側頭葉変性症の夫と私」ひまわり日記

「前頭側頭葉変性症の夫と私」ひまわり日記

野球大好き。MLB、欧州サッカーをはじめ、スポーツ全部好きです!夫の難病(前頭側頭葉変性症)に悩み苦しみつつ、息子の心配事にヤキモキしつつも、明るく楽しく暮らしていきたいと思っています。

スポーツ観戦好きの主婦。前頭側頭葉変性症の夫の療養や、日常のひとこまのつぶやきです


夫の地元出身ということもあり、夫が応援していた、いきものがかり。

私も何度も一緒にライブを見に行ったことがありました。

 

今回3回もチケットの抽選に落選していたのですが、何と最後の一般発売で注釈付きチケットをゲットすることができました。注釈でもなんでも見られればいいやと思い、横浜桜木町のぴあアリーナMMに行ってみると、ステージ右袖のほとんど最前列に近い素晴らしい席でした!

 

白いロングドレスで現れた吉岡聖恵さん。スポットライト一つのなかでしっとりと「誰か」を歌い始めました。ほんとに心に沁みる歌声でした。その次に「ありがとう」。この歌は夫のお葬式のときに、夫に聴かせました。ありがとうと伝えたくて・・

 

コイスルオトメ‐激情編‐、笑顔、YELL、運命ちゃん、じょいふる、ブルーバード・・みんな素晴らしい曲で、泣いたり、笑ったり、踊ったり。

 

いきものがかりの原点である、SAKURAは、心の奥底まで感動しました。夫の地元の風景が曲に織り込まれていて、小田急線の桜が目に浮かんできました。

 

そしてアンコールでの「風が吹いている」の、会場全体での大合唱。

たぶん夫も私も一番好きな曲である「帰りたくなったよ」。

「帰りたくなったよ、君が待つ家に。聞いてほしい話があるよ。笑ってくれたらうれしいな」というフレーズで最高潮に達して涙腺が崩壊しました。

 

夫が亡くなる3週間ほど前に、「今年の正月はどうするの?」としっかりした声で私に聞いてきたのを思い出しました。そして本当に最後に帰りたかったのだろうなと泣けてしかたがありませんでした。

 

最後にダブルアンコールで、水野良樹さんがピアノを弾いて、吉岡聖恵さんと二人だけで新曲を披露してくれました。

 

いきものがかり結成25周年で、11月2日に武道館で二人だけで、路上ライブ風に弾き語りライブをするのだそうです。

 

夫と心のつながりが持てる素晴らしい曲をたくさん聴かせてくれて感謝です。

私も夫も大好きな、槇原敬之さんからもお花が!

 

帰りの横浜みなとみらいの夜景は最高!一緒に見たかったなぁ。

 

 

 死後事務と言われる、人が亡くなったあとで必要な様々な手続き。

私に全部できるかなと心配ではありましたが、一つ一つやってみるとそんなに難しいことではなく、社会の仕組みを今さらながら理解できてとても勉強になりました。

 相続のことも、相続人は私と息子だけでシンプルなので、自力でやっています。今は不動産の相続登記の申請をすすめているところです。

専門家に依頼すると数十万円はかかるそうなので、仕事と思うとやりがいがあります。自分のこととなると、難解な言葉も頭に入ってくるものですね。

 家のなかも少しずつ片づけています。夫の遺品を整理していると、思いがけず、かつての夫の書きつけたものに出会うことがあります。大変な思いをしていたのだなと切ない思いにかられます。その記述をそのままここに書きます。55歳の6月のことです。

 

「シャワーをあびた後、ふきとったが汗が出るのでパニック状態になった。自殺しようと思った。浴室で自殺しようと思ったが、火事になるのではと勘違いしてしまい、頭を打ったが死ねなかった。そのまま外に出て、玄関口と私道で何度も頭を打ったが、死ねなかった。何人かの人がそこに集まってきた。その時には落ち着いてきて、正気に戻った。警察に通報してくれて、来た。涼しい風が幸運にも、ふいてきたので、体も乾いて、正気に戻った。家の中に帰りパンツをはいた。家でウロウロしていたら、なおさら良くなった。今は普段より落ち着き過ぎたほどだ。」

 

その当時、夫は入浴後にいくら体を拭いても水分がとれないとよく言っていました。そしていろんな妄想が頭のなかにあるようでした。さらに気持ちをすっきりさせるためか、水をがぶ飲みするようになり、度々意識も失うようになり、低ナトリウム血症を起こし、病院に入院しました。

大滝詠一のロングバケーションのカセットテープが出てきました。1980年代の若かりし頃の恋愛観がなつかしいです。私たちにも、こんな時代がありました。あっという間に過ぎていきました。

 

 

 

なかなか筆が進まず、遅くなりましたが、夫の病歴を書こうとおもいます。同じ病気の方の少しでも参考になれば幸いです。ただ、この病気は人によって症状が違い、病名も確定されるまでが長く、原因も不明で治療法がないのが現状です。先も見えず不安と思いますが、一例として見てください。

 

41歳 うつ病で心療内科を受診(障害年金の初診日となります)。1年休職。3か月の入院。通院治療をしつつ、リワークプログラムに参加。軽快して仕事に復帰。その後は、うつ病を克服して順調。投薬治療は続ける。

 

49歳 双極性障害を発症(前頭側頭葉変性症の発症と推測されています)。極端な躁うつ状態となる。心療内科を他の医院に替え、通院治療をする。仕事も困難になる。

 

53歳 歩きにくい、食べられない、水でもむせる状態になり、うつ病の症状と見られ、精神科の病院に受診、入院する。入院3か月めに、食べられないため栄養がとれず、点滴のみとなり衰弱。総合病院に救急搬送され1か月入院。確定診断ではないが、ALS(筋萎縮性側索硬化症 三山型)の疑いとされる。入院中のリハビリで流動食が摂れるようになり、先の精神科の病院に戻り、8カ月入院を継続。

 

54歳 休職期間満了により退職。ほぼ通常の食事を摂れるようになり、体調も安定する。精神科の病院を退院し、自宅療養になる。神経内科医院に月に1度通院する。1年ほどは家で寝たり起きたりの生活。意欲的に何かするということもなく、無気力。

 

55歳 異常行動がみられる。水をガブ飲みするようになり、低ナトリウム血症となる。国立病院精神科に3か月入院。前頭葉の萎縮がみられ、「前頭側頭葉変性症(前頭側頭型認知症)」との確定診断がでる。

退院後は自宅にて療養。デイサービス、訪問診療を利用。要介護4。

 

56歳 半年ほど自宅療養をしていたが、外に出たがるなどの行動により、在宅介護が困難。介護付き有料老人ホームに入居する。行動は落ち着いていくが、意欲がなくベッドに横になることが多い生活となる。数年後には心身ともに安定し、要介護3となる。徐々に運動量が減り、食事量も減る。

 

61歳 新型コロナウイルスに罹患。軽症。総合病院に10日間入院。

 

62歳 転倒のため、救急搬送され総合病院に入院。両大腿骨頚部内側骨折。両側人工骨置換手術を受ける。退院して介護ホームに戻ったその日に、血中酸素が70台のため、救急搬送で入院。肺炎と診断される。回復するが、嚥下力が弱く食事が摂れないため胃瘻を造設。夜間の痰の吸引も必要となる。計2か月入院。

 

この入院以降、自力で歩行、排泄、電話ができなくなる。会話もほとんどなくなる。

 

退院後、夜間の痰の吸引もできる、24時間看護師の居る介護付き有料老人ホームに転居する。要介護4になる。入居して半月後に誤嚥性肺炎のため、先の総合病院に再入院。12日間。回復する。その後5カ月ほどは順調であった。

 

63歳 熱が38度、酸素が80から90台前半のため救急搬送。大学病院に入院。肺炎の治療。貧血。肝酵素の数値が悪い。栄養不足であるが、リフィーディング症候群もある。抗生剤、輸血、アルブミンの点滴を行う。一時回復に向かうが、栄養剤を開始すると、肺炎を再発。入院19日目で永眠。

 

こう書いていくと、病名が確定する前は、暗中模索でつらかったなあと思います。のべ入院期間もすごい日数だし、救急搬送も何回もされています。夫も大変だったけど、私もよくやっていけたなあと感慨深いです。

 

前回、ブログを終了すると言いましたが、色々思い出すこともあって、私自身のこれからのことも書いていこうと思います。

ではまた。