またまた道の話^ ^


少し前にバクティの道を外れたと書きました

その時、師匠に「仲間は大切」ということを言われました



その時はどういうことか、わかるようでわからなかったのですが、先日、色々振り返って


こういうことか!?と理解しました


結論、結局ひとりなのですけどね笑


なんじゃーいという感じなのですが、



どう言うことかというと

スピリチュアルな歩みについて



最初2018年くらいからスピリチュアル世界に惹かれ、職場の先輩とYouTubeなどで得た情報を語り合ったりしました


しかしほんの1〜2年後、職場での強制終了がかかるように退職し、なんとなくスピリチュアルな世界との関わりが薄くなりました


第一スピリチュアル期☆



その後ヨガの世界に入り、バクティを知り、再びスピリチュアルな世界へ

そこには仲間がたくさんいて、そのような話をすることもありました


しかし1年ほどでそこを出ることになりました。


第二スピリチュアル期☆



そして今、スピリチュアルな世界の勉強やその世界への道を1歩ずつ毎日歩いています。

中高の時の親友と。


そして、今回のはとても濃密で、爆速感があります笑


ただ


一緒に歩いていないのです


ここがミソです



第1期・2期は『一緒の道を歩く』感覚が強かったです



が、どう考えても、どう感じても

やはり一緒には歩いていないのです、



今の親友の彼女とも一緒には歩いていないのです



歩いているのはそれぞれその道です



ただ道を歩いている時、必ずいつも一緒に語らう人がいるのです



そしてそれは傍で一緒に歩いているのでは決してないのです



ただふと小屋に入ったらいるとか、電話で話したり相談できるという仲間です。



一緒に歩いていては、自分の道を違えてしまいます

自分の道ではない道を歩いていたりして

迷子になってしまいます



自分の道を、たったひとりの自分の道を行くのです



一緒に進むとか一緒に行こうと言っても

足を出しているのは自分

前に進んでいるのも自分


たったひとりの自分です



でもだからこそ『仲間は大切』なのです



師匠の言葉は本当でした



仲間は大切

ひとりだけどひとりじゃない、けどひとりです

(この世界では)


さぁ今日も親友に繋がる電話を片手にひとり自分の道を進んでいくとしますか♬


会話・対話することは大切

 

友達と会うとか

いつものメンツとか

会社の飲み会とか

家族の団欒とか

 

人と人が集まって何をしてるかといえば

基本的には会話・対話

言葉を交わすこと

 

昔はテレパシーとかで

言葉を交わすことなく意思疎通していたらしい

 

今は言葉を介してしている^ ^

 

会話している時、実は

人は人の話を聞いているようだけど

本当は、人の話なんてほとんど、ほぼ全く聞いてないらしい

 

えーって思う反面

なんだか納得な自覚あり

 

なんでって?

それには2つの側面があって

 

ひとつは、それは実は自分との対話だから

もうひとつは、実は聞かなくても全部知ってるから

 

ん?てなる

まずひとつめ『実は自分との対話』

 

自分が何を考えて、どう思っているか

自分の中で考えているだけでは、まだまだ生もの

料理する前の魚という感じ

 

人と対話するということは、料理をすることに近い気がする

そこには捌く、切る、焼く、煮る、などなど

(レパートリーの少なさ、、、普段の料理スキルがバレる)

 

食べやすいように塩や胡椒やターメリックとかも振ったりして

 

そうしたら、自分の中で生ものだった魚が色々な形で浸透してくる

 

あぁ、わたしこう思ってたんだという発見と思考の整理ができる

 

もうひとつ『実は聞かなくても全部知ってる』

これは、実は、誰でも『みんなの叡智を集めたところ』にアクセス出来るから実は全部知ってる・知ることが出来るということ

 

だけど、そのみんなの叡智を集めたところと呼ばれるところにアクセスするコードみたいなものが詰まっていたり、なんなら切れてる

 

だから、友だちと会話をするとそのコードの詰まりが少し取れていったり、結び直されたりする

 

そして、自分のコードが叡智と繋がり、おぉ、そうだったのか!と新たな発見や納得がある気がする

 

いくら対話しても会話しても相手の気持ちや意見を聞くことはできても、

それを体験することは出来ない、あくまでずーっと自分。

 

自分の輪郭をはっきりさせたり、

自分と叡智のコードを新たに繋いだり、

コードの詰まりを取ったりして

 

結局は自分と向き合ってる

 

相手の話を聞いても、それを聞いての自分の反応を見ている、感じている、味わっている

 

聞くことも、話すことも大切だけど、実はその両方で自分と向き合ってるの

 

あぁ、面白い

さて今日は誰と会話して、わたしを発見しようかなぁ

 

『かたち』あるものから『かたち』ないものへ

 

 

だから最初は『かたち』が必要だと思う

(『型』ともいう)

 

 

何の話かというと、

 

 

実は、わたしは少し前、

バクティヨガの道を少し歩んでいました

 

 

毎朝、マントラを唱えて、瞑想して、

食事はオリエンタルベジタリアン

ご飯を食べる時、お風呂に入る時は、マントラを唱えてから

外に出るときはジャパバックを持ち、お数珠に触れてマントラを唱える

最後の方はエカーダシーや断食も

 

 

そういう生活

 

 

とても充実していたし、満足感や充実感もありました

 

 

そして、クリシュナ神が近くにいてくれている感覚を感じるように♡

 

 

しかし、少し前に色々な出来事があり

師から離れるということで

バクティヨガから離れることになりました

 

 

すぐに今までの生活を変えたわけではないですし、

正直急に変えられませんでした

ただ今までの習慣やものを無くしてもいいという世界線へ

 

 

ジャパバックとか、経典とか、お数珠とか、御神像とかは

持ってまいすが、使わなくなりますし、経典も頻繁に触れなくなりました

 

 

でも

 

 

そこで残ったもの

 

 

『気がついたら、頭の中で唱えているマハーマントラ』

 

 

本当にすごい

 

 

心ではなく、もっと深いところから、

「本物はこれなのだ、こういうことなのだ」

というものが湧き上がってきました

 

 

大切なのはかたちではない

 

 

ジャパバックを持ってなくても、首にお数珠をつけてなくても、ベジタリアンじゃなくても

 

 

本当に大切なのは、心、真心、信仰心

 

 

わたしに繋がった色々なものに対して

敬意と感謝で気持ちがいっぱいです♡

 

 

全てのことがあったから、ここに立てたのだと思います

感謝

 

 

最初からここには立てなかった

一人ではここにはたどり着けなかった

かたちあるものから始めなければここにはきっと来られなかった

 

 

だから

 

 

かたちあるものからないものへ向かっていくのでしょうね