”道”と言われる道を進んでいく学びの過程で

 

「守・破・離」

 

というのがあると最近本で学びました

 

 

あぁ、わたしのはこれだったのかもしれないと

過去を振り返ったりしていた


 

わたしはある師と出会い、色々なことがあり

その師につかせて頂いて

バクティヨガの道を歩むと決めてその道へ行きました

 

 

わたしにとっては、それは”道”の精神でした

華道、茶道、武道と言われるものと同じような感覚

 

 

そこに真摯に向き合い、朝起きてから寝るまで日本で出来るわたしに出来る範囲の精一杯で

バクティに従事してみました。

 

 

朝起きて、身体を清めて、身の回りをさっと整えて、マントラ唱えて、アラティ歌って

ご飯はオリエンタルベジタリアンで必要以上には摂らず

日中、外に出るときにはジャパバックを欠かさず、外ではジャパを唱える

お風呂に入るときには、マントラを唱えてからは入り

エカーダシーの日は穀物を食べない

読む本は、ヨガの本もしくはバカヴァットギーター

仕事も我欲というより奉仕という意識で

 

というような生活をしていたのです

 

 

いきなりではなく、いろいろな過程があり、きっかけがあり、ありがたい分岐点がいくつもあり

そうなっていったのです

 

 

そうしていたら、

なんだかピンと来ないということが次第に訪れ、

次第に心というか魂というかが

離れていくのを感じていました。

 


そうしていたら、ひょんなことから師の元を離れることになりました

 

 

なぜかといわれたら、おそらく時が来たからではないかと今は思っています

もしくは、真剣にバクティを学んでいたからでしょうか、

 

 

バクティという側面からは離れましたが

クリシュナ神はちかくにいてくださっておりますし、色々なスピリチュアルな探求や学びはさらに

あらゆる形で進んできております

色々な導きに感謝です♡

 

 

『守』で徹底的に(わたしが無理なく出来る範囲で)教えを守る

 

そうしていたら

 

『破』が訪れる

ピンとこないことや疑問点が出てくる

 

どうしようかと思っていたら

 

『離』が訪れる

 

 

あぁ、これは学んでいく道の過程で起こることなのだと

”道”の精神で学んでいたことというのは、ある意味間違いではなく

先人達もこのようにして学びを進めていったのだということを実感できて

 

 

この言葉をしれて嬉しかったです

 

 

もしなにかに進んだり、学んだりしていて、あれこれって?

となって破と離が起こりそうになっても怖がらなくていいのです

 

 

それは真摯に学んでいれば、訪れるときがくるかもしれない

逆にそれが訪れないからと真摯に学んでいないわけではないです

 

 

その人それぞれの、”道”があります。

 

 

一番大切なのは、エゴではなく、魂の声を聞くこと

 

 

その中で、こういう道もあるから心配しなくていい

安心して離れなさいと先人達が言ってくれたのだなと安心しました。

 

 

さぁ今日もスピリチュアルに生きましょう♫