脚本家 旺季志ずかです。


「自分」と思っている もの


「わたし」の正体


それには ふたつあって、


一個は 「自我」


通常 自分だと思っている「私」


もう一個は小説 「虹の翼のミライ」にも書いた


仏教 禅の思想「縁起」で説明される



もともとの「ひとつ」意識



「大いなる自分」「本当の自分」



それが「真我」と呼ばれているもの


その「自我」と「真我」が一致するとき


つまり「自我」が消えるとき


本当の自分で「在る」



でもね  普通は 二つの視点があるの


というか「自我」を自分だと思ってる



それで選択行動してる


「真我」の視点はとても高い。


その視点から見えるもの 意見は


時に「自我」の自分には怖いものだったりする。


だけど それを超えていくと


自分の枠が壊れ 大きく意識が広がっていく。


わたしは


なんどもなんども それを体験して来た。


だから


高い視点の人の助言に従って


チャレンジすることは 大きなギフトをもたらす。



だけど その助言をくれるが


その時


エゴ(自我)からではないか


見極めることがとても大事だと感じる。


それを選択しても しなくても どちらでもいいというスタンスからの助言であること



そう



いつも 絶対に 決めるのは「自分の心」なのだ。


そして


自分の心が ノーであるなら


いくら それが真実で


いいものであっても


従う必要はない。


いつも 従うのは 自分の心


そして



同時に



チャレンジはとても大事



意識を広げ



自分で在ること以上の喜びはない


それで コメントに こんなシェアをいただきました。


うん ホント この通り!


わたしも全くそう思います

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今日も人生にブラボーと叫ぼう!



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