「努力の選択と配分」という言葉は


つい最近、知りました。


勉強会を開いている異業種の仲間たちは


ひとりがお医者さま


ひとりが土木関係をプロデュースするトンネルおやじの社長


ひとりが制服コーディネーターの若者?


ひとりが英語塾の女塾長。


その中のお医者さまの先生がよく言われます。


努力をどこにして、どこにしないか。


そして、そのペースまで考えられている模様。


そんなことは、まったく考えず


その時のヒラメキだけで生きてる私は


目の前のことに、何事も「全力投球」です。


先生いわく、私が「努力の選択と配分」を覚えたら


おそろしいことになるのではないか、とお褒めだか


呆れただかの言葉をくださいました。


確かに、いつも、全力を出し切っているので


ここぞ、というときに、ヘロヘロ。


でも今までは根性で乗り切ってきました。


結婚してから、都内にいるときは


毎朝5時起きで弁当をつくり


晩御飯は何品も料理をつくる私を見て


友人たちは私が料理ができるのだと知りびっくり!


料理にも全力投球しているのです。


夫は、夜遅くまで仕事しているのだから無理しないでいいよ、というのですが


しないと気持ちがおさまらない。


とにかく全力を出して、なんでもやらないと気がすまないんですね。


でも。


やっと、


努力の選択と分配をするしかないか、と思ってきました。


大きな目標のためには。


そういえば、脚本家になったとき、


かなりの時間、


脚本を書くこと以外はすべて捨てていました。


あれ、努力の選択と分配だったのかも。


今、


私は


どうしてもやりたいことがあり、


それに向かって歩き出しています。


そのために、心の断捨離が必要だと感じています。


「努力の選択と配分」は心の断捨離なしではできない。


心、ハラを決めないと、現実は動かない。


というか、まわりのあれこれで流されてしまいます。


ハラを決めるきっかけも、


仲間たちの一言がきっかけでした。


今の私に、この、ストレートにアドバイスをくれる仲間たちは宝です。


「旺季の才能を支える」と言われたときは涙が出ました。


そんなことを言ってくれる仲間がいるでしょうか。


ありがたすぎます。


旺季の才能。


もしあるとしたら、誰に届けば一番いいのでしょう。


私のメッセージは、あなたに届いていますか?