前回よりつづき



そんな時、数日前からメールで攻撃的なやりとりになってしまっている大好きな友人からメールがあった。




正直に気持ちを書いたら攻撃的な返事が返ってくるのか理解できなくてモヤモヤしていた。



彼女のせいにしていた。



彼女はメールに書いてきた




「しずかちゃんは、人に面倒をみさせる人だと思う」



この文章に反応していた。




まさしく、私が、彼女に感じていたのが、まったく、同じことだった。



私は返した「私も、あなたをそう感じてる。お互いに鏡を見てるんだね」




そこまではわかったけど、とても傷つけられた気がして、被害者の気分になった。



だけど、心の片隅で意識的でもいた。




こんな大切な人とトラブルのって、きっと、何か大きな気付きをもたらすことなんだって。



彼女のせいじゃない、私が映し出してるのだって。








そうしたら、今朝、気付いたのだ。



「面倒をみさせる人」


って彼女が書いたのが、私には批判に聞こえた。



だけど、それって「面倒をみさせる人」というのを「悪い」って思ってるからじゃない?




心屋仁之助さんから、私が最近、学んだ最大のことは「迷惑をかけてもいい」
だったんじゃん!



彼女は、なんの批判もなく書いたのかもしれない。




「面倒をみさせる人」



なんだ、全然オッケーじゃん!




つーか、面倒をみてもらっていいんじゃん!



人に大切にしてもらってるってことじゃん!




うお~~~すごい気付きだった。



彼女に感謝があふれてきた。




問題が起きたように感じた時は、ただ、気付きが必要だってことなだけだ。



本当にそうだ。






で、また、思った。



私は、お母さんに、たった一人で経済を支え、すごくおしゃれな人なのにブランドバッグひとつ買ったことのない母に
できるだけのことをしてあげたかった。



ハワイで、そのために、もっと働こうとさえ、心のどこかで思ってた。




だけど、母さんが私に求めているのは



そんなことじゃないってわかった。




私が幸せでいること。



私が子供たちに、そう望んでいるように。






ただただ「幸せでてほしい」



私を幸せにするために、身を粉にして働くことなんてしなくていい。






「面倒をみさせる人」が悪いと思っていたのは

「面倒をみる」のが「無理をすること」だと思っていたから。






ああ~~~、もう深い。



腰痛も本当にありがたい。




いや、まだ、ホントは嫌だけど()



気楽でいこう。








この人生を遊ぼう。





ゆらりと、幸せで、いよう。